太平洋戦争末期に尖閣諸島近海で米軍機の攻撃を受けた疎開船の犠牲者を悼む「尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭」(主催・同遺族会)が3日、石垣市新川の同慰霊碑で行われた。遺族ら約50人が参列し、名が刻まれた慰霊碑に手を合わせて犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を願った。

犠牲者の名が刻まれた慰霊碑に手をわせる遺族ら=3日、石垣市新川・尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑

 式辞で、遺族会副会長の玻名城健雄さん(72)は「慰霊とは残った私たちが平和創造に努力することにほかならない」と強調。「紛争や戦争はひとたび起こると癒えることない深い傷を残すと体験者は教えてくれた。それを胸に留め置き、平和の創造を実践することをみ霊に誓う」と述べた。

 母方の祖父や一家全滅した親族一家を思い毎年参加している糸数用一さん(76)は「地域限定戦争は不可能。必ずそれはエスカレートする。たった一つの岩山、たった一つの小島といえども争ってはならない」などと自作の詩を読み上げ、中国と緊張関係が続く尖閣諸島近海の平穏を願った。

 戦時遭難事件は1945年7月3日、疎開船2隻が台湾へ向かう際に空襲を受け1隻が沈没し、もう1隻は航行不能で遭難し魚釣島に漂着。銃撃死や溺死、同島で餓死者も出たが、正確な犠牲者数は不明という。