沖縄人権協会理事長の福地曠昭(ふくち・ひろあき)さんが5日午前1時3分、脳梗塞による長期入院中に沖縄市内の病院で死去した。87歳。告別式は7日午後1時から1時45分、那覇市松山1の9の1の大典寺で。喪主は妻の敏子(としこ)さん。

沖縄復帰40周年記念式典に出席した福地曠昭さん=2012年、宜野湾市・沖縄コンベンションセンター

 福地さんは1931年2月28日、大宜味村喜如嘉生まれ。辺土名高校、沖縄外国語学校を卒業後、中学校や高校の教諭となり、56年に沖縄教職員会に勤務。「教公二法闘争」のさなか右翼に刺されたり、CIC(米軍防諜(ぼうちょう)部隊)に狙われたりしながら、日本復帰運動に奔走した。復帰後も基地闘争や教育・環境問題、沖縄戦の記録フィルムを収集する1フィート運動などに取り組んだ。

 同時に、沖縄の大工や農業、公害問題、明治から昭和にかけて全国の紡績工場で働いた沖縄出身女性工員の苦難の体験などを取材して出版。著書は40冊に上る。

 終戦後、米軍による事件・事故の被害者たちにもまなざしを向けた。100人余が犠牲になった伊江島のLCT爆発事故、米兵による女性や子どもへの相次ぐ拉致・暴行事件、石川ジェット機墜落や不発弾事故など、基地あるが故の問題を記録してきた。

 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会代表、沖縄教職員組合委員長、原水爆禁止沖縄県協議会理事長、教育振興会事務局長、県国際交流財団副理事長、県精神保健福祉協会長などを歴任。マニラ法律大学名誉博士、日本平和学会員、日本社会文学会員など幅広く活動した。

 2009年に「草の根の平和運動と人権擁護活動」で沖縄タイムス賞(社会活動賞)を受賞した。