1999年度準ミス日本の赤嶺里奈さんは、那覇市内を母親と歩いていた3歳の時にスカウトされ、CMのモデルやデパートの専属モデルなどを長らく務めた。そして現在、彼女は一人娘の怜音(LEON)さんとビバリーヒルズに暮らしている。

ビバリーヒルズの街角に立つ赤嶺里奈さん

 「ずっと沖縄から出て東京に行きたいと思っていた。友人が私のために応募したミス日本コンテストで準ミスに選ばれ、活動拠点を東京に置く必要があり念願をかなえた」と話す。

 ミスの活動後はタレントとしてテレビに出演していたが、結婚と出産を経験し、しばらく育児に専念。その後は自分が出演するよりもプロデューサーとしての仕事が主となったという。

 2008年に東京に芸能プロダクションを設立。タレントのルー大柴さんの人気回復を後押しするため、プロデューサーとしてさまざまな戦略を仕掛けた。14年製作の日米合作映画「アメリカンピアノ」の主演に、娘の怜音さんが選ばれた直後、ルー大柴さんも出演者に抜擢(ばってき)された。

 「撮影は1週間ほど日本で行われた。さまざまな国の俳優やスタッフが作品の完成に向けて取り組む姿勢を目の当たりにして大きな刺激を受けた。自分も海外に出たい、と思うようになった」と振り返る。

 思い立ったらすぐに実行するのがモットー。プロダクションを共同経営する夫を東京に残し、赤嶺さんは怜音さんと14年夏、知り合いのいるワシントンDCに渡った。そして、芸能面で卓越した才能や実績を持つ人に与えられるOビザを取得後、永住権の申請を開始。「15年末に晴れて取得できるまでは申請作業に忙殺された。取得資格を証明するための膨大な資料をそろえ、推薦状も取り寄せた」

 16年3月、ワシントンDCからエンターテインメントの本場であるロサンゼルスに移住し隣接するビバリーヒルズ市内に居を構えた。「ロサンゼルスには海もあり、沖縄に似ていてどこかほっとする雰囲気がある。沖縄県人会のイベントにも参加、うちなーぐちを耳にしたり琉球民謡が流れたりすると、やはり沖縄の血が騒ぐ」と話す。

 今後は赤嶺さん自身が女優としてハリウッドに挑戦するのかと思いきや「もちろん女優やモデルとして機会があれば挑戦したいけれど、娘や日本の才能ある人々をハリウッドで売り込むような裏方の仕事を中心に活動したい。そのために、ロサンゼルスにプロダクションの支社を設立しようと準備している」と語り、2年以内にアメリカ支社を軌道に乗せたいという。

 深夜すぎまで東京とスカイプでミーティングすることもあり「日本と時差があるのはつらいが、今は携帯とPCさえあれば、世界中どこにいてもコミュニケーションには困らない」と赤嶺さん。沖縄を飛び出して東京へ、さらにアメリカへ。次々に活動の舞台を広げているが、その原動力は「人生は一度きり。後悔したくないから」との思いだ。(ロサンゼルス通信員 福田恵子)