太宰治の小説「富嶽百景」の冒頭はこんな風に始まる。〈富士の頂角、広重は八十五度、文晁も八十四度くらゐ、(中略)北斎にいたつては、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやう〉

▼奇抜で大胆。江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎が描く富士山をこう評した。実際は約70度で、パリのエッフェル塔ほど尖っていないが、それほど見る者に鮮烈な印象を与えたということだろう

▼北斎が「富嶽百景」を描いたのは75~76歳。今で言う後期高齢者だが、現役引退どころか、数え90歳で逝く寸前まで創作意欲を燃やす。最期の言葉は「あと5年、生かしてもらえたら一人前の絵描きになる」。その情熱に恐れ入る

▼絵の聖人のように思えるが俗っぽさもあった。大の掃除嫌いで、部屋が汚れるとすぐさま引っ越し。生涯で93回。多い時は1日3回というから、筋金入りだ

▼当時、浮世絵師はいわゆる庶民。社会的身分は高くない。将軍家や寺院のお抱えとなり、生活が保障された人もいたが、北斎は独立独歩を貫く。それ故、長屋から長屋への貧乏暮らしだった

▼富に執着せず、芸道に生きた北斎の傑作「富嶽百景」や、現代の漫画の源流とされる「北斎漫画」が一堂に会する展覧会はあすから浦添市美術館で。幻想的な「琉球八景」も並ぶ。傑出した絵師の息吹を存分に味わいたい。(西江昭吾)