子供のころ、ブロック塀の上は通り道でもあり、遊び場でもあった。「近道」と称して、下校時によその家の塀の上を歩いたり、さーえー(鬼ごっこ)や陣取りの逃げ道に使ったり

▼戦後のブロック使用は1948年に米軍工兵隊が製造用機械を導入し、軍施設や基地内住宅建設に使ったのが始まりとされる。翌年には民間にも広がった

▼「新聞が見た建設業」(沖縄建設新聞刊)によると、琉球政府が1961年に品質保全法を定めた時期に224の製造業者がいた。いかに身近な建築資材だったかがよく分かる

▼公立学校にあるブロック塀で建築基準法に適合しない可能性のある箇所が917も見つかった。学校数では300校に上る。子どもの安全に直結するだけに心配は募る

▼ことは学校周辺だけにとどまらない。通学路など民間地域の実態は不明なまま。調査は6月の大阪府北部地震時に児童が犠牲になったことがきっかけだが、県内では台風での倒壊例もあって以前から危険性は指摘されてきた

▼復興の記憶と結びつき、県民になじみ深いブロック塀。本紙で「琉球風画 今はいにしえ」を連載中のローゼル川田さんはアスファルトと合わせ「グレーの風景を創り出した」と評する。戦後を象徴するような景観が不安に彩られないよう、官民一体となった対策が必要となる。(玉城淳)