1945年10月。日本敗戦から2カ月近く。台湾・新荘にあった唯一の国立ハンセン病療養所「楽生院」。日本人患者約40人と台湾人600人以上が強制収容されていた。 「窓から見える外の通りを、国民党軍が行進していた」。当時16歳の豊見山一雄さん(89)=宮古島市=は振り返る。