音楽家・著述家 琉球 HALさん(49)=沖縄市出身

 自分とは何者か-。絶えず自らのアイデンティティーを探し求めてきた。幅広いメディアで注目を浴びるユタ(霊能者)、大手音楽会社からデビューしたシンガー・ソングライター。貿易商社を起業した実業家の顔も持つ。40代から再び音楽をメインで活動する中、行き着いた答えは、生まれ育った「沖縄」だった。

ステージで自身の楽曲を披露する琉球 HALさん=13日、東京都墨田区の東京スカイツリー前広場

ステージで自身の楽曲を披露する琉球 HALさん=13日、東京都墨田区の東京スカイツリー前広場

ステージで自身の楽曲を披露する琉球 HALさん=13日、東京都墨田区の東京スカイツリー前広場 ステージで自身の楽曲を披露する琉球 HALさん=13日、東京都墨田区の東京スカイツリー前広場

 ユタの家系に生まれた。妹が2人いるが、祖母、母に続き受け継いだのが自分だった。5~6歳で早くも悩み相談を聞いていた。幼稚園からの帰り道、商店のおばさんたちが待ち構え「お帰りなさい。お菓子食べたら」ともてなしつつ、「うちの夫、浮気してるかしら」などと尋ねてきた。

 「霊能者は相手のマイナスをかぶるので、基本的に病弱。常に二日酔いのように気分も悪い。中学・高校ではやせ細っていた」

 困っている人から手助けを懇願されるが、関係性がこじれると「あのユタは力がなくなった」「ユクシムニー(うそつき)だ」と陰口をたたかれる。祖母や母を見ながら「ユタなんて絶対やりたくない」と反発し、没頭したのが音楽だった。

 国内を回って新人発掘していた音楽会社スタッフの目に留まり、19歳でメジャーデビューを果たすが、事務所とそりが合わず帰沖。音楽を続けるための“生活の糧”として小さな貿易商社を立ち上げ、外国の土産品やシステムキッチンなどを扱う。CM制作も手掛け、年商は9億円、社員24人を雇うまでになった。

 だが経営方針を巡る軋轢(あつれき)で会社を手放し、うるま市赤道で喫茶店を始めたのが24歳。借金5千万円を抱えていた。体にむちを打つように1日20人以上を鑑定。借金を8年で返済した。「あの借金がなければ今の僕はいない」。ユタとしてここまで有名になったのは、あの経験が転機となった。

 36歳で東京に拠点を移し、今に至る。音楽関係のつながりが縁で、テレビに頻繁に登場するようになり、「第二の江原啓之さんになれる」と周囲に太鼓判を押されたが、固辞した。こだわったのは自分自身のアイデンティティーだった。

 40歳で音楽家として再デビューし、海外で演奏する中で気付いたことがある。「現場で認められるものは沖縄。それが僕の中では大きい」。琉球音階は各国で「新しい」と称賛される。「沖縄」は世界で通用すると確信を持つ。「アイデンティティーこそ受け取り手に最後まで伝わる」

 鑑定は相談者1人にしか伝わらない。でも音楽は違う。その力に乗せて、万人にメッセージを届ける。(東京報道部・西江昭吾)==連載・アクロス沖縄<90>

 りゅうきゅう・はる 1968年、沖縄市生まれ。中部工業高卒業。これまでに鑑定したのは延べ25~26万人。現在鑑定はしていないが、後継者育成に力を入れ、東京・西麻布に養成学校を構える。50代からは海外を中心に音楽活動をしていくという。5月には米国4都市で7公演を行った。6月には新曲「琉球KoKoRock」をリリースした。