最高裁が自らの過去を検証し、誤りを認め、謝罪した。かつてなかったことである。

 責任を認めたことによって最高裁が人権を守る最後の砦(とりで)として信頼を回復できたかといえば、答えはノーである。元患者らの中に広がる深い失望感を最高裁は深刻に受け止めた方がいい。

 ハンセン病患者の裁判は1970年代初めまで、療養所などの隔離施設に設置した「特別法廷」で開かれていた。国の隔離政策が司法の場にも及んでいたのである。

 ハンセン病を理由に裁判所以外の場所で「特別法廷」が開かれたのは1948年から72年までで、あわせて95件。

 最高裁は25日、調査報告書を公表し、事務総局が必要性を審査せず形式的に「特別法廷」の設置を許可したのは裁判所法に違反する差別的な扱いだったことを認めた。

 裁判所法は、裁判所以外の他の場所で法廷を開くことを例外として認めている。だが、隔離政策の違憲性を認めた2001年の熊本地裁判決は、60年以降には隔離が不要になっていた、と認定している。60年以降は、「特別法廷」のような隔離法廷を開く理由がなかったのだ。

 記者会見で今崎幸彦事務総長は「患者の人格と尊厳を傷つけ、深く反省し、おわびする」と謝罪したが、遅きに失した感は否めない。政府や国会が熊本地裁判決を受けて隔離政策の誤りを認め謝罪してから15年近い歳月が流れているのである。

 憲法が定める裁判の公開原則に「違反していない」と否定していることも、元患者の感情を逆なでする。

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 学者や弁護士から成る最高裁の有識者委員会は、「特別法廷」が一般社会から隔絶された「隔離・差別の場だった」ことを指摘し、憲法が定める裁判公開の原則に反し違憲の疑いを拭えない、と指摘した。

 これに対し、今回の調査報告書は、療養所の正門に開廷を知らせる「告示」を出していたことをあげ、「公開されていなかったとは認定できない」と違憲性を否定する。

 違憲性を認めた場合の影響を懸念するあまり腰が引け、形式論をかざして逃げ込んだ印象が強い。実際のところはどうだったのか。

 熊本県の国立療養所「菊池恵楓園」入所者自治会の志村康会長(83)は指摘する。「告示に気付く人はおらず、知らない間に裁判は開かれていた」。50年代に「特別法廷」を目撃したという菊池恵楓園の入所者は「白黒の幕の中で裁判が開かれ、全然見えなかった」と証言する。

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 事実上非公開に近い「特別法廷」で死刑判決を受け、最高裁の上告棄却で死刑判決が確定し、再審請求も棄却され、62年9月に刑が執行された殺人事件がある。これが「特別法廷」で審理された唯一の殺人事件だという。隔離法廷の中でずさんな審理が行われたとの批判が今もある。

 最高裁が謝罪したことで行政・立法・司法の三権が隔離政策について謝罪したことになるが、ハンセン病に対する差別や偏見は解消されていない。司法による過去の償いも終わっていない。