沖縄県内で車が左側通行に変わった1978年7月30日の「730(ナナサンマル)」から30日で40年。信号機や道路標識・標示変更の責任者として準備に奔走したのは元那覇署長の久高弘さん(84)。当日は雨で予定よりも作業が遅れ、切り替え時間が迫って焦ったという。「当時、交通安全日本一の県を目指そうとの思いを込めて、準備作業をした」と懐かしむ。(社会部・豊島鉄博)

当時の標識カバーを手にする久高弘さん=うるま市宮里の自宅

 久高さんは76年、県警の交通方法変更対策室の交通規制班長に就任。翌年ごろから左側通行用の「止まれ」などの標識を道路左側に設置していった。変更当日まで「(昭和)53年7月30日から車は左」と書かれたカバーを掛けた。

 このアイデアは67年に交通方法が変更になったスウェーデンを参考にした。「スウェーデンは単に黒いカバーを掛けただけと聞き、せっかくならカバーを使って広報しようと思った」とひと工夫を加えた。

 矢印などの道路標示は当初、変更直前に左側通行用の標示を白いペンキで書く予定だった。だが、過去74年分の変更日前後の降雨確率を調べると40~46%と高かったため、標示を書いて、その上から黒いテープ素材を張って変更日にバーナーで焼いて剥がす方法を取った。「雨でもできる方法はこれしかなかったよ」

 綿密な準備期間を経て迎えた変更日。29日午後10時~翌30日午前6時という限られた時間で標識約3万本、道路約300キロの標示を切り替える空前のプロジェクトが幕を開けた。

 だが、台風が沖縄近海を通過し、強い雨が降りしきり、特にバーナーを使う標示変更作業は進まなかったという。「本当なら5時には全ての作業を終える予定だったが、終わらずに大変だったね。焦ったよ」 

 懸命な作業を続け30日朝6時、県内一斉に左側通行へ切り替わった。県警の実施本部で見守っていた久高さんは、思わず仲間と抱き合って泣いた。40年たって「車は左、人は右」はすっかり定着した。ただ、いまだに交通事故は後を絶たない。

 久高さんは「当時、『日本一交通安全な県を目指して』というスローガンの下、心を込めて標識や標示を切り替えた。運転者や歩行者は標識や標示に従い、さらなる交通安全に取り組んでほしい」と願った。