アメリカ統治時代以降、沖縄の道路交通は、アメリカと同じ「車は右側通行」でした。本土復帰から6年後の1978年7月30日、車が左側通行に変わりました。

国際通りで、交通方法変更前と後の比較(左)1978年7月29日(右)1978年7月30日

交通方法変更の注意を呼び掛けた「車は左・人は右」の看板=1978年7月28日、那覇市

交通方法変更までカバーがかけられた道路標識=1978年7月10日、那覇市内

交通法変更日までカバーがかけられた標識=1978年7月29日

交通方法変更に備えた交通安全指導で、横断歩道を渡る子どもたち=1978年7月29日、那覇市・久茂地小学校

交通方法変更に向けたバスの試運転。狭いカーブでは相手コースに進入したり、ハラハラ運転の連続だった=1978年6月23日、那覇市

「最後の右側通行」をカメラに収める人たち=1978年7月29日、那覇市

右側通行最後の1978年7月29日夜に走ったバス。この後、午後10時から変更作業に入り、翌30日午前5時ごろには作業が完了した=那覇市内

変更前日の午後10時から全県通行止めにして実施された切り替え作業=1978年7月29日

夜通しで実施された切り替え作業=1978年7月30日未明

交通方法変更後の那覇市・泊高橋交差点=1978年7月30日

歴史的な交通方法変更は波乱のスタート。各地で事故や渋滞が相次いだ=1978年7月30日、具志頭村(現・八重瀬町)

交通方法変更後の那覇市・国際通り=1978年7月30日

国際通りで、交通方法変更前と後の比較(左)1978年7月29日(右)1978年7月30日 交通方法変更の注意を呼び掛けた「車は左・人は右」の看板=1978年7月28日、那覇市 交通方法変更までカバーがかけられた道路標識=1978年7月10日、那覇市内 交通法変更日までカバーがかけられた標識=1978年7月29日 交通方法変更に備えた交通安全指導で、横断歩道を渡る子どもたち=1978年7月29日、那覇市・久茂地小学校 交通方法変更に向けたバスの試運転。狭いカーブでは相手コースに進入したり、ハラハラ運転の連続だった=1978年6月23日、那覇市 「最後の右側通行」をカメラに収める人たち=1978年7月29日、那覇市 右側通行最後の1978年7月29日夜に走ったバス。この後、午後10時から変更作業に入り、翌30日午前5時ごろには作業が完了した=那覇市内 変更前日の午後10時から全県通行止めにして実施された切り替え作業=1978年7月29日 夜通しで実施された切り替え作業=1978年7月30日未明 交通方法変更後の那覇市・泊高橋交差点=1978年7月30日 歴史的な交通方法変更は波乱のスタート。各地で事故や渋滞が相次いだ=1978年7月30日、具志頭村(現・八重瀬町) 交通方法変更後の那覇市・国際通り=1978年7月30日

 その日付から「730(ナナサンマル)」として記憶される、沖縄の歴史の転換点。沖縄タイムスのアーカイブから、当時を振り返る写真を公開します。