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米軍機墜落事故から学ぶ「平和な沖縄を」普天間第二小と宮森小の教員 

2018年8月1日 06:05

 1959年に沖縄県の旧石川市の宮森小学校とその周辺住宅地で起きた米軍機の墜落事故を学び、子どもたちの平和学習に役立てることを目的とした研修会が7月25と27の両日、うるま市内で開かれた。宮森小と昨年12月に運動場に米軍普天間飛行場所属ヘリの窓が落下した宜野湾市立普天間第二小学校の教員が参加した。

事故当時、宮森小学校の教員だった新里律子さん(右)から墜落直後の学校や子どもたちの状況を聴く宜野湾市立普天間第二小の教員=7月27日、うるま市の石川保健相談センター

59年前に米軍機が墜落した住宅地周辺を歩きながら、当時の状況を宮森小の教員に説明する「NPO法人石川・宮森630会」の久高政治会長(左)=7月25日、うるま市松嶋区

59年前に米軍機が墜落した住宅地周辺を歩きながら、当時の状況を宮森小の教員に説明する「NPO法人石川・宮森630会」の久高政治会長(左)=7月25日、うるま市松嶋区

59年前に米軍機が墜落した住宅地周辺を歩きながら、当時の状況を宮森小の教員に説明する「NPO法人石川・宮森630会」の久高政治会長(左)=7月25日、うるま市松嶋区

事故当時、宮森小学校の教員だった新里律子さん(右)から墜落直後の学校や子どもたちの状況を聴く宜野湾市立普天間第二小の教員=7月27日、うるま市の石川保健相談センター 59年前に米軍機が墜落した住宅地周辺を歩きながら、当時の状況を宮森小の教員に説明する「NPO法人石川・宮森630会」の久高政治会長(左)=7月25日、うるま市松嶋区 59年前に米軍機が墜落した住宅地周辺を歩きながら、当時の状況を宮森小の教員に説明する「NPO法人石川・宮森630会」の久高政治会長(左)=7月25日、うるま市松嶋区 59年前に米軍機が墜落した住宅地周辺を歩きながら、当時の状況を宮森小の教員に説明する「NPO法人石川・宮森630会」の久高政治会長(左)=7月25日、うるま市松嶋区

 25日の宮森小の研修では、事故を語り継ぐNPO法人石川・宮森630会の久高政治会長が講師を務め、当時の写真や体験者の証言などを通して学んだ。

 事故が起きたのは米軍施政下の1959年6月30日。嘉手納基地所属の米軍戦闘機が墜落し、児童11人、住民6人、後遺症で亡くなった1人の計18人が命を落とした。

 教員らは旧石川庁舎で事故の概要を久高会長から聴き、事故現場の写真や事故を報じた新聞記事などに目を通した。その後、最初に戦闘機が墜落した旧石川市6区5班・8班(現うるま市松島区)の住宅地から宮森小まで歩きながら事故当時の様子に思いをはせた。

 久高会長は「なぜ起こってしまったのか、2度と起こらないようにするには、どうすればいいのか。子どもたちに問題提起して、考えてもらえるような授業が必要ではないか」と話した。

 宮森小の嘉陽哲子教諭は「研修を子どもたちの平和学習に活用したい。今後赴任する学校でも、平和学習の一環として宮森小のこと伝えていくことが大事だ」と強調した。

 27日の普天間第二小の研修会では、宮森小の当時の4年1組担任だった新里律子さん(87)が事故直後の子どもたちや学校の状況を説明。新里さんは「今でも遺族や体験者はあの日の苦しみを抱えている。子どもたちに恥じないような平和な沖縄をつくる責任が私たちにはある」と訴えた。

 普天間第二小の男性教諭は「宮森の米軍機墜落や、普天間第二小のような事故は2度と起きてほしくない。まずは自分たちでできることを考え、(避難などで)普通の授業ができないという第二小の現状も県民に知ってもらうため、伝えていかないといけない」と語った。

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