1952年4月28日、対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効した。講和条約の発効から、きょう28日で64年になる。

 多くの国民が、占領から解放され独立を回復したことを祝った。東京の学校の中には、校長先生が全校生徒を集め、万歳を三唱したところもあったという。

 沖縄は、住民の意向を聞くこともなく講和条約第3条によって本土から切り離された。米国に統治権がゆだねられたのである。沖縄の人々と本土の住民は「4・28」という歴史的な日の記憶を共有していない。

 講和発効直前の52年3月、第1回立法院議員総選挙が行われ、4月1日から第1回議会が開かれた。行政主席(現在の県知事)を公選で選ぶ行政主席選挙法が可決されたが、米国民政府(USCAR)は布告によってこれを事実上無効にした。

 立法院で可決された労働関係調整法、労働組合法などの労働法制に対しても米国民政府は署名を拒否するよう行政主席に要求し、発効に待ったをかけた。

 憲法、地方自治法が適用され、戦後、県知事を選挙で選ぶようになった本土とは大きな違いだ。

 57年1月、沖縄を訪問した東大総長の矢内原忠雄は帰京後、朝日新聞に一文を寄せ、「沖縄は軍事植民地である」と喝破した。

 今、問うべきは、講和発効から64年たってもなお、米軍基地の集中によって沖縄の「自治・自立」が大きな制約を受けていることである。

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 県企画部が2012年10月に実施した県民意識調査によると、米軍専用施設の約74%が集中する状況について差別的かどうかを聞いたところ、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた人があわせて73・9%に達した。

 昨年10~11月に県が実施した意識調査では、沖縄の基地問題は本土の人に理解されていると思うかとの問いに対し、「あまり」と「まったく」を含め、「理解されていない」が82・9%にのぼった。この溝は深刻だ。

 米政府はこれまでに何度か、海兵隊の撤退を検討したことがある。そのたびに引き留めてきたのは、日本政府だった。

 61年に沖縄を訪問したケイセン調査団も、安全保障に寄与し米軍基地を国内に置くことから生じうる政治問題を避けることができるという理由から、日本政府は「沖縄の米軍基地を歓迎している」との見方を示している。

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 いったん成立した条約や日米の関連取り決めは、その運用や解釈が「ほぼ白紙委任的に行政権にゆだねられる」(故本間浩氏)。その結果、何が起きているか。14年10月、日弁連は地位協定改定を求める提言をまとめた。

 「米軍基地や米軍をわが国の法のコントロール(規制)の下に置くことは、市民の生活や人権を守る上でも、また、地域の自然や生活環境を守り、地方自治体の行政を円滑・効果的に行う上で、大変重要なことなのです」

 この当たり前に向かって日本全体が進むことが重要だ。