4月25日、最高裁事務総局は、ハンセン病患者を当事者とする裁判の特別法廷について、違法性を認め謝罪する報告書を公表した。

木村草太氏

 遅くとも1960年の段階では、ハンセン病の治療・感染予防の方法は確立しており、患者を厳格に隔離する必要はなくなっていた。それにもかかわらず裁判所は48年から72年まで、ハンセン病患者が当事者となる裁判を、隔離施設や医療刑務所など、裁判所外の施設で開いていた。これは、ハンセン病患者だという理由だけで一律に行われたようだ。

 この措置についてまず問題となるのは、裁判の公正を担保するために定められた「公開裁判の原則」(憲法37条、82条)に反しないかだ。

 公開裁判の要請に応えるため、裁判所の建物には、十分な数の傍聴席が設けられた法廷室や、掲示板などが設けられている。今回の報告書は、裁判所の掲示や法廷が開廷される施設正門での告示があったこと、当時の新聞記事などから傍聴が認められていたと推認できる事例もあることから、公開裁判の要請に反する事例は確認できなかったとする。

 しかし、報告書によれば、特別法廷を開く際、施設のどの部屋を使うべきか、傍聴席をどう確保するのかなどについて、具体的な指定はなされていなかったという。これでは、傍聴席がごく少ない部屋が使われたり、市民が開廷の告示を見ることが困難であったりして、公開原則に反する事例も生じた可能性を否定できないだろう。

 次に、差別されない権利(憲法14条)も問題になる。

 アメリカ南部の州では、学校・公衆トイレ・鉄道・バスなどで、白人用のそれと黒人用のそれが分離されていた。20世紀の前半まで、裁判所はこの問題について、白人用施設と黒人用施設で機能などに差はないのだから、不平等とは言えない、との立場をとっていた。これが、「分離すれど平等」の法理だ。

 しかし、仮に施設が機能的に同等であっても、差別的な動機に基づき分離すれば、分離自体によって社会的差別を助長する。つまり、分離自体が差別されない権利の侵害となる。このような理由で、20世紀後半のアメリカでは「分離すれど平等」の法理が否定されるようになった。

 今回の報告書は、特別法廷は公開裁判の原則に反していなかったという。そうだとすれば、特別法廷は、裁判所内法廷に機能的に劣るものではなく、ハンセン病患者は特別の不利益を受けていない。報告書が差別問題に鈍感であれば、このように「分離すれど平等」だと強弁することもあり得ただろう。

 しかし、今回の報告書は、合理的な理由なき特別扱い自体が、「ハンセン病患者に対する偏見、差別を助長することにつながるものになった」と認めた。これは、「分離すれど平等」の法理を、差別禁止の観点から否定する議論に沿ったものと言えよう。

 報告書が、差別されない権利について一定の配慮をした点は高く評価ができる。今後、同性婚や別姓婚の制度を整備する際にも、パートナーシップ制度の整備で十分などと安易に考えることのないよう、注意深く見守っていく必要がある。(首都大学東京教授、憲法学者)