敗戦後の占領下で日本国憲法が施行されてから69年。日本を取り巻く国内、国際情勢は変わった。憲法を巡り、国民の間から「加憲」「論憲」「創憲」などさまざまな意見が出てくるのは自然の流れである。

 それでも、今年ほど憲法が岐路に立たされている年はないと感じるのは、憲法改正を悲願とする安倍晋三首相が「在任中に成し遂げたい」と国会で答弁するなど前のめりの姿勢を強め、夏に参院選が控えているからだ。

 自公は衆院で、すでに3分の2の議席を超え、参院で改憲に前向きな野党勢力とともに3分の2以上を占めることができれば、憲法改正の発議が可能になる。

 安倍首相は、国政選挙で経済政策を打ち上げ、選挙に勝利すると一転する。昨年は、集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法を強行採決した。

 仮に参院選で勝利すれば、これまでのやり方から明らかなように、憲法改正に乗り出すのは目に見えている。

 だが、現行憲法のどこが不都合で、どの条文をどう改正したいのか、肝心の説明をしたことがない。改正することが自己目的化しているように見える。

 もはや憲法改正の是非そのものを問う状況ではない。安倍首相は何のために、憲法のどこを、どう変えたいのかを具体的に提示した上で、参院選の最大の争点に据えるべきだ。

 憲法改正についてあいまい戦術で参院選を有利に戦おうとするのは姑(こ)息(そく)である。

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 自民党が野に下っていた2012年に公表した「日本国憲法改正草案」がある。多くの危険性をはらむ草案から、特に三つの条項を取り上げたい。

 まず安倍首相が改憲の突破口にしたいといわれる緊急事態条項の創設である。

 「外部からの武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害」などの緊急事態が発生した場合、首相は緊急事態を宣言することができる。内閣は国会の関与なしに法律と同じ効力を持つ政令を制定、地方自治体の長に指示することができる。国民は国や公の機関の指示に従わなければならない-などの内容である。

 国会のコントロールを排し、権力を内閣に集中させる条項は、三権分立を否定し、基本的人権を制限する。

 武力攻撃、内乱、地震に対しては、すでに法律が整えられている。現行法で不十分というのであれば法律を改正すればいいだけである。

 かつてのドイツでナチスがワイマール憲法の大統領緊急令を乱発させ、全権委任法の制定で独裁に突き進んだ悲劇を忘れてはならない。

 二つ目は「国防軍」の創設である。現行憲法9条に定めた戦力不保持と交戦権の否認を削除した。集団的自衛権を前提にした「自衛権の発動を妨げない」と規定している。憲法の三大原則の平和主義を捨て、戦争ができる国になることを意味する。

 三つ目は「国民の責務」として「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と明記していることだ。人権は公益や公の秩序に反しない範囲でしか認めないとなれば、国の判断によって自由や権利の制限ができるようになる。

 憲法草案の基調をなすのは、憲法が権力を縛る立憲主義をないがしろにし、国民の自由や権利を後退させ、国民統治を主眼にしている点だ。国民に義務を課す条項が目立ち、多様であるはずの家族のあり方にまで国家が介入する。

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 4月に発生した熊本地震はいまだ余震が収まらない。5年前の東日本大震災の避難者はなお16万人余りに上る。福島原発事故は収束の道筋さえ見えない。

 持続可能な社会保障制度の構築、拡大する貧富の格差是正など解決すべき問題は山積している。経済状況は先行き不透明である。近隣外交でも中国・韓国との関係改善は喫緊の課題だ。

 これらを差し置いて憲法改正に突き進む理由が見当たらない。