かつて沖縄で盛んだった毛遊び(もうあしび)を今に伝える歌が沖縄市にある。若い男女の恋模様を描いた民謡「越来節(ぐぃーくぶし)」だ。作詞・作曲者は不詳で、作られた年代も不明。県内各地のエイサーなどで人気を博すが、市越来ではなぜか不人気だ。地元の人々は歌の貴重さと魅力を知って、歴史とともに後世に伝えたいと話す。(中部報道部・比嘉太一)

「越来節は貴重な資料」と語る市音楽資料館「おんがく村」の備瀬善勝館長=7月21日、同資料館

越来節の上句が刻まれた石碑=沖縄市越来

「越来節は貴重な資料」と語る市音楽資料館「おんがく村」の備瀬善勝館長=7月21日、同資料館 越来節の上句が刻まれた石碑=沖縄市越来

鮮明な記録資料

 歌は「越来よ間切(まぢり)にあてる事(くとぅ)。文子(てぃくぐ)冨里(ふさとぅ)がせる事(くとぅ)や-」(越来の地域に本当にあったことである。村の書記の冨里という人がしたことは-)という歌い出しから始まる。

 歌の前半(上句)は、冨里という男性が、越来の女性に一目ぼれし、地元山内の毛遊びに連れ出すという内容だ。女性は「着物は親が保管していて、着ていく物がない」とやんわりと断る。冨里は自分の着物を女性に着せ、山内までの道のりを2人で歩く様子が歌われる。

 歌の後半(下句)では、冨里が山内の青年たちに女性を紹介。酒を酌み交わし、三線や胡弓、女性の歌で、男性たちが楽しく踊る様子を生き生きと描く。

 沖縄市音楽資料館「おんがく村」の備瀬善勝館長(78)は「越来節」を「毛遊びの様子や昔の男女の恋模様を鮮明に記録している貴重な資料だ」と強調する。

 「歌は種子島にも伝わっていると聞く。毛遊びの様子が、大衆の中で歌い継がれ、残っていることが大切だ」と力説する。歌は備瀬館長らが監修したCD「コザのうた」にも収録されている。

越来と山内の碑

 歌に登場する地名「越来」と「山内」。両地域には越来節の歌詞が刻まれた石碑が1962年にそれぞれ建立された。越来の碑は、冨里と女性が出会う「上句」、山内の碑には、毛遊びの情景の「下句」が刻まれている。

 碑は当時、コザ市の市長を務めた大山朝常さんや市文化財保護委員らの意思で建立された。山内自治会の廣山實会長(64)は「碑は、今の時代の人たちに歌を伝える重要な文化財だ」と話す。

 廣山会長は「歌に出てくる2人は実在していた人物」と説明する。「冨里」は琉球王国第二尚氏王統の尚清王時代(1527~1555年)に三司官を務めた山内昌信のひ孫だという。

 冨里は越来グスク近くにあった役所「越来番所」で書記官を務めていた。「冨里は地元で有名な美女『真鶴』にほれてしまった。当時は、他集落の女性と恋におちたり、結婚するのはご法度。意を決して女性を山内まで連れていったのではないか」と推測する。

 歯切れのよいリズムの「越来節」で、県内各地の青年会がエイサーを踊る。しかし、以外にも地元越来では使われていないという。理由について備瀬館長は、ご法度だった集落が異なる男女の恋仲を「鮮明におもしろく描いていること」があるのではと考える。それが「地元では触れにくい歌となってしまったのかも」

 琉舞研究所を主宰し、「越来節」にも詳しい平良須賀子さん(61)=沖縄市越来=は「各地で歌われている『越来節』は誇りだ。毛遊びや、昔の越来と山内の情景を伝える歌。地元のみんなで大切にしなければならない」と話す。