このほど発刊された沖縄県史各論編の「女性史」は、沖縄の女性たちの歩みを記録している。沖縄の歴史を女性の視点で見直したもので、県全体の女性の通史は初となる。学ぶ機会がなく記録するすべを持てなかった前近代から、教育の導入で自らの言葉で表現するようになった近代、そして沖縄戦や米軍統治下で苦難を強いられながらも主体的に行動する現代まで650ページに女性たちの経験や暮らしが記されている。(学芸部・榮門琴音)

女性史をめくりながら、編さん作業を振り返る宮城さん(右)と小野さん=南風原町・県立公文書館

 例えば、沖縄国際大学教授の鳥山淳さんが記した、「土地闘争と女たち」では、今に続く「島ぐるみ」の民衆運動の起点に、女性たちの行動があったことが分かる。

 1955年1月31日、宜野湾村伊佐浜(当時)。米軍の土地接収をめぐり、立ち退き案を受け入れた男性たちに不満を抱いた女性たちは、琉球政府主席を訪ね、「女性はもう男たちの言うのを聞かない」「女性に何の相談もなく何が円満解決か」と立ち退き反対を直訴する。

 その5日後、琉球政府の立法機関、立法院の軍使用土地特別委員会は、立ち退き案の受け入れで対応を打ち切っていた審議を再開。傍聴に女性約50人が集まり、証言台で「男たちはあまり圧迫が強くて折れてしまった。しかし男ができなければ女が守る」と訴えた。

 立法院は、家父長的観念が根強く残る農村で女性たちが声を上げた事実を重く受け止め、接収中止を主張。立法院同委員会も3月30日、「婦人たちの口々に叫ぶ必死の嘆願」を受け、「絶対反対の線」を打ち出すことになる。

 女性史部会長で、琉球大・沖縄国際大・沖縄大非常勤講師の宮城晴美さんは「土地闘争といえば、伊江島の阿波根昌鴻さんといった男性リーダーを思い浮かべるが、女性たちは黙って見ていたのではなく、主体的に動いていた」と語る。

 県文化振興会公文書主任専門員の豊見山和美さんが記した「『国民指導員計画』における女性たち」では、終戦から本土復帰直後までの時期にも、女性たちの面目躍如たる行動がみられる。

 1961年、米軍は女性たちの政治的発言力をけん制し、親米路線を強化するため、沖縄婦人連合会幹部を渡米させて宣撫(せんぶ)工作を図る。しかし、アメリカの民主主義を学ぶ一方で、沖縄が置かれた境遇から目をそらすことなく、占領批判をするなど、女性たちが宣撫工作になびくことはなかった。女性史には「彼女らは自由と民主主義の国の実践を学んだが、それは自らをその属国と化すことではなかった」「植民地化にあらがう女性たちの、強くのびやかな土着の精神を見ずにいることはできない」と記している。

 県教育庁文化財課史料編集班指導主事の小野まさ子さんは「よく知られた歴史でも、視点を変えると新しい一面が見えてくる」と説明。宮城さんは「女性たちのたくましさが伝わってくるはず。関心のあるテーマから読み始めてほしい」と話している。

女性史をめくりながら、編さん作業を振り返る宮城さん(右)と小野さん=南風原町・県立公文書館