「沖縄に行ったら訪れる所が決まっているんだから。県庁、学校、空手道場」。県人会の会員が私のことをからかうときの表現である。同じことを島ンチュにも言われる。なるほど、今までのウチナーンチュ大会での私の行動範囲がそうで、自他ともにそれを認めざるを得ない。

鮮魚店で働くイトマンチュの八重子さん=那覇市の牧志公設市場

 しかし、2016年の大会帰省中に、ある体験でそれは変わった。県内の友達が、魚が大好物だと言った私を那覇の公設市場に連れていってくれた。それがきっかけで、私はその市場に魅了された。

 1964年に渡米するまで、国際通りと平和通り以外はどこも知らなかった。その後、何十回も帰省したが、公用が先になり、大きな看板のある牧志公設市場の入り口さえも素通りしていた。恥ずかしい話だが、那覇だけでなく、自分の出身地名護にも同様な市場があると言われて初めて知った。

 大会後のある日、首里城の絵がデザインされたTシャツを着て、友達と外出した。彼らを追って平和通りを歩いた。気が付くと、魚貝類に囲まれた場所に移動していた。刺し身店のガラスケースの前で立ち止まった。ケースの向こう側の女性と50センチの至近距離で互いにスマイル。とたんに意気投合し、ユンタクハンタクが始まった。

 店主の八重子さんは70代半ばで背筋がまっすぐで機転が早い。私のTシャツをちらっと見ながら「お客さん、ウチナーンチュだけどウチナーには住んでませんね、ハワイ県人会?」と糸満なまりで尋ねた。

 「ニューヨーク県人会」だと言うと、彼女は「あぁーやっぱり。テレビのオリオンビールの宣伝!」と反応。周囲の人たちも何か言いながら近寄ってきた。その雰囲気に乗って、私はカチャーシーのそぶりをし、一緒になって他人事のようにげらげら笑った。私のウフソー丸出しである。 去年と今年の初夏の帰省中にも、八重子さんを訪ね、刺し身を食べて買い物をした。多めに買ってホテルへ持ち帰る。近くに島ラッキョウ、瓶詰めされたスクガラス、数々の島野菜も豊富にある。

 私はこの近くで住める、と思った。今その市場が恋しい。こんな人情が今頃になって出てくるとは思いもしなかった。

 目的なしの外出はしない。だが、この公設市場には単なる散策にも情緒がある。おばぁや女性パワー。心身ともに回転が速く、彼女たちの輝いたミンタマー(目)が浮かぶ。一緒に働いているニーセー(青年)たちの静かな笑顔とクールな底力も伝わる。ウチナーチムグクルがある。

 市場での老若男女のヤカラーズ(勇敢な者たち)の働きぶりは、実際の生活体験がにじみ出ている。自分もたくましく生きようとあやかりたい。帰省はそのための充電でもあるのだ。  ウチナーの公設市場の皆さん、あなたたちの勤労の原点・不屈の精神とガッツに、カリーサビラ(乾杯)!(てい子与那覇トゥーシー)