【熊本県で新崎哲史】49人が犠牲になった熊本地震は14日、発生から1カ月を迎えた。2度の激震で広範囲にわたって家屋が倒壊。家の下敷きになった死亡者は全体の8割近くに上った。現在でも震度4クラスの余震が発生し、熊本県民に「あの日」の恐怖を呼び起こさせる。震源地に近い益城町や大規模な土砂崩れが起きた南阿蘇村を歩くと、地震の深い爪痕が今もそのままに残っている。

家宅が軒並み崩壊した益城町木山地区を歩く住民。がれきの撤去作業は緒に就いたばかりだ=11日午後5時すぎ、熊本県益城町(新崎哲史撮影)

 観測史上初めて2度の震度7の揺れが襲った益城町。県や町の調査では、町内の家屋の半数が「倒壊の危険性がある」と判定された。

 被害が集中した木山地区周辺では耐震基準が強化された2000年以降の家屋も軒並み倒れた。

 山田マスヨさん(76)=町寺迫=は大手ハウスメーカーの自宅が倒壊。築10年の友人の家も家屋1階がつぶれた。「命があっただけでよかったが、今も恐ろしい気持ちは収まらない」と話す。

 同町惣領の吉住紀代文さん(75)も築23年の純和風家屋が全壊した。「悪徳業者が『安くで撤去する』と持ちかけている」とのうわさも聞き、何も手つかずにいる。

 「年寄りは銀行ローンも組めない。再建するには子どもと折半しないといけんが、断層のある益城に住もうと思ってくれるか…」と不安を吐露する。

 益城町の布田川・日奈久断層帯は古くから知られていたが、巨大地震を起こす可能性を予期した住民はほとんどいなかった。

 加えて川に近い地域は「地面に数メートル管を挿せば、水が噴き出る」という地下水が豊富な地域。住民の1人は「絹ごし豆腐の上に家が建っているようなもん」と地盤のもろさを指摘する。

 多くの住民は今も公共施設やテント、車上で避難生活を続ける。広安小に避難している惣領3町内の高木守区長は「疲れはピークで、情報も不足。お金の問題で不安は募る。町外に流出した住民が戻るのか。復興の未来はまだ見えてない」と声を落とした。