戦後沖縄の医師不足を補う医介輔(ほ)として、56年間診療所を続け地域医療を支えた宮里善昌(みやざと・ぜんしょう)さんが17日午後4時36分、心不全のため沖縄市内の病院で死去した。95歳。うるま市勝連平敷屋出身。告別式は19日午後1時から2時、うるま市具志川1508、具志川葬斎場で。喪主は長男善一(ぜんいち)さん。

宮里善昌さん

 戦前に医院で助手を務めた後、ソロモン諸島ブーゲンビル島で衛生兵として従軍した。戦後は米国民政府が1951年に実施した医介輔試験に合格し翌年、旧勝連町平敷屋で開業。現役最後の医介輔として87歳で引退するまで、診療所での診察のほか平安座など離島の往診にも出向いた。2010年には、宮里さんをモデルにしたドラマが放映された。 

 1995年勲五等瑞宝章、2009年タイムス地域貢献賞、13年県功労者表彰(社会福祉部門)を受けた。

■「地域に欠かせない人」関係者ら悼む

 半世紀以上にわたって地域医療に尽力した元医介輔(ほ)、宮里善昌さんの訃報に生前を知る関係者から惜しむ声が上がった。

 沖縄戦で60人余まで激減した医師の代わりに、米軍が大手術禁止などの制限付きで認めたのが医介輔制度。126人が合格し、本土復帰後も一代限りで医療行為を担った。次男で、中頭病院院長の善次さん(67)は「医療体制が未熟な時代に、住民の命を預かるという仕事の厳しさは想像を絶する。自分が医師になって、まねはできないと痛感した」。宮里さんの影響を受け、4男3女のうち5人が医療・福祉の道へ進んだといい「おやじは戦時を生き抜き、戦後も徹底して住民に尽くした。悲しむより、その生きざまをたたえたい」と話す。

 平敷屋区自治会の西新屋光男会長(58)は「離島の往診では天候が悪く船が出ない時も、漁師に頼んでサバニを出してもらったり、お金のない人からは診察料を取らなかったりと、とにかく優しく、誰からも尊敬された」と懐古。

 平敷屋エイサー保存会の発起人になるなど、伝統文化への思いも強く「地域に欠かせない大切な人を亡くし、さみしく思う」と悼んだ。