女性の遺体が見つかり、米軍属の容疑者が逮捕された5月19日の夜は、沖縄から上京してくる元上司らを囲んで会食する予定だった。が、前日の夜から不穏な情報は耳にしていた。会食できるかは流動的だと認識しながらも、まだどこかで楽観していた。生きていてくれさえすれば、と―。

記者会見で「米軍基地がある限り事件は起きる。すべての基地を撤去すべきだ」と訴える高里鈴代さん(右から4人目)ら女性たち=5月20日、沖縄県庁記者クラブ

告別式に参列し、式場を後にする中谷元・防衛相(左手前から3人目)=5月21日午後

記者会見で「米軍基地がある限り事件は起きる。すべての基地を撤去すべきだ」と訴える高里鈴代さん(右から4人目)ら女性たち=5月20日、沖縄県庁記者クラブ 告別式に参列し、式場を後にする中谷元・防衛相(左手前から3人目)=5月21日午後

 事件が急展開して、自分の見通しの甘さに腹が立った。会食は当然流れた。所属している週刊誌『AERA』の編集部から急きょ、事件について記事を執筆するよう指示を受けた。だが、しばらくは何も思考できなかった。

 被害者の女性がウオーキングしていたとみられる場所や、携帯電話の位置情報が最後に確認された辺りを、テレビのレポーターが歩いて伝えていた。その映像をぼんやりした頭で見ていると、沖縄タイムスの中部支社に勤務していたときに何度も行き来した場所であることに気づいた。記憶はどんどん鮮明になり、周囲の情景や風の匂いまで思い浮かべることができる。被害者の女性が赤の他人には思えない…。

 突き刺すような痛み、と言えばいいだろうか。それが頭に、腹に、心にずきずきとうずいてきた。お前は迂闊だと責められているようだった。

 「沖縄」を忘れると、心が軽やかでいられる―。そのことに気付いたのは、東京に来て数カ月たった頃だ。

 東京で会う人に、「沖縄」を話題に出せば、たいていの人はリゾートを思い浮かべて「いいねえ」と言う。ところが、「基地問題」に言及すると、さっと身を強ばらせる。あまり熱心に語ると、「やっかいな人」として弾かれそうになる。感極まったりすると最悪で、二度と顔を合わせられなくなる。私は次第に「空気」を読むようになっていた。伝えるのが仕事なのに、どう語ればいいのか分からなくなった。

 在京のテレビやラジオでも、沖縄のことは話題に上る。が、ほとんどはリゾート、旅、食べ物にまつわる番組なので、重い気分になるどころか、浮き浮きした気分になる。快活で飾らないウチナーンチュたちが「癒やし」になるように作られている。

 だが、17年間、沖縄で暮らした私は、これが本当の沖縄の姿ではないことを知っている。テレビカメラの前で、サービス精神いっぱいにカチャーシーを舞うオバーやオジーたちも、壮絶な沖縄戦の悲劇と、戦後の基地被害を経験し、口にするかどうかはともかく「本土」に対して複雑な感情を抱えている。そう考えると、到底、「娯楽」として観ることなどできない。

 テレビの画面に見覚えのある顔が映った。沖縄県警刑事部長の記者会見が始まったのだ。沖縄タイムスの社会部で警察担当をしていたとき、よく夜回りし、一緒に酒を飲んだこともある人だ。強面だが、普段は気さくな人である。私には分かった。この人は今、ウチナーンチュとしてすごく怒っている。辺野古で抗議している人たちを冷酷に排除する機動隊だけが沖縄県警の顔ではない。彼らも沖縄県民だ。

 悲しみと罪悪感。「本土」出身の私が沖縄で暮らしているとき、常に感じていたことだ。前者は沖縄の人たちの心の内側に対して、後者は私自身の思いとして。

 それが沖縄を離れてわずか1年余で、私の中で何かが消えかかっていた。自分でも驚いた。沖縄に住んでいたり、沖縄出身だったりすると決してそうはならないはずだと思うと余計に悔しい。今の自分は毎朝、沖縄タイムスを読むことでかろうじて沖縄とつながっている。

 「今、こうやってパソコンに向かっている間も、打つ手の震えを抑えることができない」。事件を伝える5月20日付沖縄タイムスの社説の書き出しに、はっとさせられた。社説はふつうこんな書き出しはしない。でも伝わった。共感した。そして癒やされた。

 「元沖縄タイムス記者」として東京でジャーナリストの活動をするという思いは今も変わらない。しかし現実には、「沖縄」のことだけを取材したり、考えたりしていられるわけではない。現に、つい最近まで舛添要一都知事の税金無駄遣いの取材をしていた。お気楽なテーマと言っては叱られるが、沖縄で起きていることを伝えるのとはペンをもつ重みがまるで違う。パソコンを「打つ手の震えを抑えることができない」といったような次元の話では全くないのだ。

 『AERA』の取材で、高里鈴代さんや山城博治さんに電話でコメントをもらった。言葉そのものよりも、声質のほうが耳に残った。辛さや怒りや悲しみを混ぜ合わせた、情の深そうな、懐かしい顔が目の前に浮かんだ。

 「あなた、ほんとに、東京で頑張ってよー」。高里さんにそう言われ、自分の不甲斐なさが申し訳なく、何度も頭を下げた。

 5月21日付の沖縄タイムス1面に掲載されていた「おことわり」を読んで、またはっとさせられた。「元海兵隊員による女性遺体遺棄事件について、沖縄タイムス社は事件の重大性と人権に配慮して、被害者を匿名に切り替えます」と書かれていた。

私が『AERA』の同僚とともに事件のことを書いた記事は、週明けの23日発売だ。被害者は実名である。自分の思慮の浅さを恨むしかない。

 本当はこんなことを書くつもりではなかった。「戦後71年。問われているのは、沖縄に在日米軍基地の大半を押しつけたまま、見て見ぬふりを続けてきた日本社会のありようではないか」といったことや、「沖縄では米軍絡みの事件事故が起きるたび、東京から大量の報道陣が詰めかけ、嵐のように取材して回り、波がひくように去っていくが、基地問題は何も解決されない」といったことをもっと冷静に論理的に書くつもりだった。しかし今はそれができない。

 それでも、政府の基地政策については書かなければいけないと思う。日米政府の普天間返還合意のきっかけとなった1995年の米兵による少女暴行事件当時のことを思い出すための、一つの素材を以下に記す。

 昨年上梓した拙著『日本はなぜ米軍をもてなすのか』(旬報社)の「おわりに」で書いた一節をそのままで、少し長くなって恐縮だが、転載させていただく。

【転載ここから】

戦後二七年間、米軍統治下に置かれた沖縄の日本返還を果たした佐藤栄作政権で総理秘書官を務めた楠田實氏が残した資料を基に構成した、二〇一五年五月九日放送のNHKスペシャル「総理秘書官が見た沖縄返還~発掘資料が語る内幕~」は、日本の有識者や政府中枢の沖縄に対する本音を見事に切り取っていました。

番組は終盤で、過重な米軍基地を維持したままの沖縄の本土復帰に忸怩たる思いを抱える楠田氏が、一九九六年に日米が普天間飛行場の返還で合意したことを受け、佐藤政権以来となる活動を始めたことを明かします。楠田氏はこのとき、沖縄の基地問題に関する提言をしようと、有識者を集めて意見を聴いていました。番組はこの事実を紹介し、当時の録音テープを流しながら、出席者の誰がどういう発言をしたのかがわかるように場面の再現を図っていました。

メンバーは、当時の橋本内閣のブレーンだった下河辺淳元国土事務次官のほか、京極純一氏(政治学者)、田中明彦氏(国際政治学者)ら一流の学者がそろいました。

それぞれの発言は以下です。

田中氏「本当に嘉手納基地というのは立派な基地ですね。あれほどの立派な基地はなかなかないんじゃないかという感じがしました。沖縄の米軍基地が有効に機能し続けることを確保するのは日本にとっての通常の意味での国益であろうと思います」

下河辺氏「米軍も沖縄にとってはプラス要因なんですね。経済的に言えば。ただ気持ちはあんまりいいはずはないですね。占領されたような気分ですから。知事は深刻そうに、『ひとつ沖縄に来て住んでくれませんか』と言ってましたよ。なんかこう同情的な話とか平和がいいねとかっていう話から始まるもんですから。こじれるわけです」

田中氏「こちら側からですね、(在沖米軍に)『やっぱりいなくなってください』という筋合いは、今は無いと思う」

京極氏「(在沖米軍に)いてもらった方が、日本がより多く平和維持的といいますかね。いられるわけだし。軍備増強しなくても済む面もあるし。無理に帰ってもらう必要はないな」

当時、沖縄の人たちの前ではおくびにも出さなかったであろう、無惨なまでに赤裸々な「一流学者」と元官僚の政策ブレーンの本音トークが続きます。

下河辺氏が話題にしている「知事」は、大田知事を指しています。

NHKスペシャルのナレーターは「有識者の意見は基地の負担軽減よりも沖縄の戦略的重要性に重点を置いていました」と説明し、「有識者が語る本土から見た沖縄。楠田がこれらの意見をもとに政府に提言したという記録は残されていません。楠田はこのとき何を考えていたのか」と静かな口調で場面を締めくくっていました。

このあと番組は、楠田氏が書いた「沖縄の未来像を描け」というタイトルの手記を紹介します。「日本人は昨日のことは考えない。今日と明日のことしか考えない民族だとよく言われるが、考えてみよう……祖国復帰までの二十七年間、沖縄県民は特殊な環境の下で、日本人としての魂を守り続けた……復帰後、日本政府も巨額の公共投資をして、街並みも、以前とは比較にならないほど近代化した……しかし、それとても沖縄県民の魂の飢餓を満たすものではない」

番組放送から約三ヶ月後の八月一一日。菅義偉官房長官と普天間問題をめぐって会談した沖縄県の翁長知事は、基地問題をめぐって「県民の気持ちには魂の飢餓感がある」と語っていました。このとき私は、翁長知事はあの番組を見たのだな、と直感しました。

「魂の飢餓感」とは何か。【転載はここまで】

 政府内部からは今回の事件について、オバマ大統領の来日を控えた時期に「最悪のタイミングで起きた」という声が聞こえてくる。しかし、日米同盟の強化をアピールするよりもまず先に日本政府が取り組むべきことは、沖縄との紐帯(ちゅうたい)を取り戻すことではないのか。

 沖縄の人々は今、同じ「痛み」を胸に抱え、沖縄で生きていくことの意味をかみしめているはずだ。私は東京にいても、沖縄の人々の「魂の飢餓感」を共有する。

 ■渡辺 豪(わたなべ つよし) フリージャーナリスト(元沖縄タイムス記者)1968年兵庫県生まれ。関西大学工学部卒。92年毎日新聞社入社。98年沖縄タイムス社入社、2015年3月に退職。現在、東京都内在住。主な著書に『「アメとムチ」の構図』(沖縄タイムス)、『国策のまちおこし』(凱風社)、『私たちの教室からは米軍基地が見えます』(ボーダーインク)、「日本はなぜ米軍をもてなすのか」(旬報社)、共著に『この国はどこで間違えたのか~沖縄と福島から見えた日本~』(徳間書店)、「波よ鎮まれ~尖閣への視座~」(旬報社)、4月に「普天間・辺野古 歪められた二〇年」(集英社新書)を刊行。