「仕事は空手関係?」と聞かれるくらい、空手の記事を多く書いている。私の記憶がまだ健全なうちに、自分の専門分野の精神保健分野と戦争などの関係について3回に分けて書きたい。

米国のどの町にもある「アメリカン・リージョン・ポスト」というビル。元米軍兵同士の共存共栄を使命とし愛国心を強めながら地域社会と溶け合っている

 実は「PTSD(心的外傷後ストレス障害=Post Traumatic Stress Disorderの略)」への対応が私のキャリアに影響を及ぼした。現実的でともすれば陰気な現実と向き合うには、武道は私の一つの心理的な防波堤なのだ。

 1973年8月、米軍はベトナムから撤退し、軍人らが帰国した。だが仕事を失った兵士による麻薬やアルコール依存、犯罪にホームレス…など、さまざまな事件が起こり社会問題になった。そのころから、心身に及ぼす症状はPTSDのサインだとの訴えが出てきた。

 80年代前半、私はニュージャージー州の精神保健福祉センターで児童青少年対象のカウンセラーとして勤務を始めた。既にその頃にはPTSD症状は認知されており、精神保健分野における私の学習の原点は、PTSDの心理学へと向かっていった。

 80年代前後、メディアは第2次大戦を体験したグループとベトナム帰還兵のグループが互いの体験を話し合い、症状の違いや共通点などを指摘することに焦点を向けた。第2次大戦の帰還兵らは市民にハグされ英雄扱いされたが、ベトナム帰還兵の場合は「ベイビー・キラー」と軽蔑された。残酷な戦争がもたらした心身障害についてデモ行進などで訴え、やっとSSI(生活保護)の手当の給付が認可された経緯もある。

 その5年前の78年、私の夫はすでに他界していた。米軍が枯れ葉剤をベトナムの山森にまき散らした話は当時はタブーだった。11歳で父を突然失った私の息子が、高3のときにベトナム戦に関してエッセーを書く事になった。息子はニュージャージー州の退役軍人対象の行政機関本部に「資料が欲しい」と手紙を送った。しばらくすると大きな封筒が送られた。

 そのころ私は「PTSD」の文字を見ると沖縄の戦争体験者のことを強く思った。PTSDとは「命の安全が脅かされるような出来事、戦争、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることで著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である」が定義である。

 APA(アメリカ精神医学会)の「精神疾患の診断・統計マニュアル」は52年に設立され何度も改訂出版されたが、日本で「PTSD」が実際に応用され認知されだしたのは、95年の阪神淡路大震災以降だといわれている。

 風化しつつある残酷なウチナーの大戦は、ワッターウチナー島に起こった歴史的事実として次世代は絶対に忘れてはいけない。孫の代へも伝え、画像や写真で記録に残すべきだ。「単に起こった過去」とは絶対に言えないからである。なぜなら戦争に巻き込まれ犠牲になったウチナー島は、71年後の現在でも犠牲を強いられる“ing”の進行形だからだ。日米政府に都合よく差別されている。

 ウチナー独特の「PTSD症候群」は社会的原因から生じる一種の社会現象だ。現在の沖縄のことを思うと決して無関心ではおれない。(てい子与那覇トゥーシー通信員)