遺体遺棄事件の被害女性の通夜を忘れない。祭壇でほほ笑むドレス姿の遺影、かわいがっていたうさぎのぬいぐるみ、そして白いひつぎ。どんな日常、前途が20歳で奪われたのかを物語っていた

 ▼親族の女性は泣きながら報道陣に訴えた。半数以上いた本土の記者はどう聞いたか。「どうか、この基地だけは、どこかに持って行ってください。見えない所へ。手の力で持てなくても、心で持って」

 ▼翌日、私は祖母の一周忌で京都にいた。寺のカエデの緑葉が陽光に輝いていた。紅葉しなくても美しいことを知った。軍事でなく観光が目的の外国人が行き交う。つまり、別世界だった

 ▼京都の暮らしでは、殺人訓練を積んだ元海兵隊員に突然襲われることも、米軍ヘリが大学に墜落することも想定されない。「人権が、あるよね」。沖縄出身の妻がそう言い、本土出身の私はうなずくことしかできなかった

 ▼祖母は大正生まれ。戦争をくぐり抜け、本土で90歳の天寿を全うした。孫が沖縄で働き始めても、なかなか足が向かなかった。「申し訳なくてねえ」。沖縄は遊びに行く所ではなかった

 ▼沖縄に犠牲を強いてきた自覚は、戦中派には色濃かった。その世代も少なくなった。事件の衝撃、基地を押し付けてきた責任。どちらもまるで関係なさそうに続く本土の日常が、やるせなかった。(阿部岳)