米軍占領下を生きた基地労働者の証言集「基地で働く 軍作業員の戦後」で取材した山城文子さんが27日夜、亡くなった。84歳。トゥシビー祝いが今週予定され、孫の演奏を心待ちにしていたという

 ▼沖縄戦時、家族8人で故郷・沖縄市知花の山中を逃げ回った。「上等の着物を着てから死のう」と母の訴えで自宅に戻り、全員で着替えてから捕虜になった

 ▼戦後は知花弾薬庫に26年間勤め、戦地に弾薬を送った。必死で働いたが、「戦争に加担している」と葛藤する。2002年、いくばくかのお金を持ってベトナムの病院を訪ねた。米軍がまいた枯れ葉剤の影響とされる結合双生児「ベトちゃんとドクちゃん」に渡すために

 ▼病室に立つと、ガラス越しにドクちゃんが近寄ってきて手を振ったという。「笑顔でね、『ありがとう』って感じでね。本当にごめんねーと思い、涙が止まらなかったですよ。あの笑顔が忘れられない」

 ▼今も自問し続ける元基地労働者が少なくない中、文子さんはベトナムに行き、戦争被害者に謝った。語ってくれた心のトゲを受け継ぎ、沖縄の未来に生かしたいと強く思う

 ▼おしゃれ好きは母譲りだったのだろう。新聞に載せた写真は文子さんの要望で何度も呼び出されて撮り直し、自身で選んだ1枚だ。それが告別式の遺影になっていた。照れた笑顔が忘れられない。(磯野直)