官房長官を務めた故梶山静六氏の書簡で、米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する理由が「本土の反対」を懸念した結果だったことが明らかになった。辺野古に基地を造る理由として「地理的優位性」や「抑止力」を掲げ続ける国の長年にわたる欺瞞(ぎまん)が、あらためて示されたといえる。

沖縄県名護市辺野古沖

 現在、在沖米軍の約6割を占める米海兵隊は、1950年代に岐阜、山梨から移ってきた。その理由は地元の反基地感情と、本土で広がった全国的な反基地運動の広がりだ。

 本土での反対運動は困る。遠く、憲法も適用されていない沖縄に押し付けよう-。

 こうして始まった沖縄への押し付けは、50年代も90年代も、そして2016年も変わらない。

 書簡では、本土で移設先を探せば「反対勢力が組織的に住民投票運動を起こす」と懸念を記している。

 一方、名護市の住民投票で反対が上回ったにもかかわらず辞任と引き換えに受け入れを表明した比嘉鉄也名護市長(当時)の判断を「決断」とし、基地は名護市で造るしかないと記述している。

 同じ住民投票でも、首長の一存で「無効化」に成功した沖縄に対し、本土では住民投票の機運が起こることさえ懸念している。沖縄の声、住民の自治が構造的にないがしろにされている証左だ。

 返還合意から20年。辺野古に基地が建設されていない理由は、県民が反対の意思を示し続けてきたためだ。国民の声を聞き、日米安保の負担を全国で分かち合う。沖縄が訴えているのは、こんな単純な要求だ。(政経部・大野亨恭)