特定秘密保護法が成立した。問題は大きく二つある。国民の「知る権利」を有名無実化し、民主主義をないがしろにしかねない法律の内容自体の問題が一つ。加えて、多数与党という圧倒的な数の力をバックに概要発表から3カ月という極めて短時間の国会審議で押し切った自民・公明の強引な政権運営の在り方も追及されてしかるべきだ。

 審議の過程で「何が秘密か、それが秘密だ」とも揶揄(やゆ)された同法は、秘密の定義があいまいで、秘密指定を検証・監察する仕組みも不明確なままだ。私たちが何げなく目にしたこと、耳にしたこと、口にしたことが罪に問われる危険性をはらんでいる。国民の知る権利に資する報道・取材の自由に対しては「十分に配慮しなければならない」「著しく不当な方法によるものと認められない限りは正当」と盛り込んではいるが、配慮という文言がいかに空虚なものであるか沖縄県民は身をもって知っている。権力が情報をコントロールするすべを1度得てしまえば、秘密の範囲は際限なく拡大する恐れがある。

 その危険性は、閣僚経験者の言動でもすでに表れている。自民党の小池百合子元防衛相は、首相の一日の行動を報道する記事について「国民の『知る権利』(の範囲)を超えているのではないか」との認識を示した。石破茂自民党幹事長は特定秘密保護法案に反対するデモを「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」とした。首相の行動を伝えることも、デモや集会で意思を表現することも、権力者の考え方次第で罪に問われかねない。

 戦前回帰を恐れる学者・研究者や法律関係者、市民団体、国際機関など多数の団体が「反対」「懸念」の意思を表明した。警察組織の元幹部から「特高警察の再来」を危惧する声も上がっていた。国会でも、審議を重ねるほど問題点が浮き彫りになり、各種世論調査によると国民の反対の声も高まってきた。

 情報は国民のものである-という前提に立てば、政権はここで1度立ち止まり、理解を得られるまで丁寧に説明すべきだろう。それだけ国民生活に重要な法案だった。にもかかわらず、数の力で強引に押し切ったことは、傲慢(ごうまん)、横暴と言われても仕方あるまい。圧倒的な議席を国民から託された選挙では、同法案を公約に掲げて信任を得たわけではないことも肝に銘じるべきだ。

 さて、国民はどうすべきか。法律が成立してしまったから仕方ないと諦めるのか。権力の横暴をこのまま追認するのか。今を生きる私たちは、10年、20年、50年後の日本という国の在り方に思いを寄せ、子や孫の時代に胸を張れる行動を考えねばならない。日本の民主主義が重大な岐路に差し掛かっていることの自覚と覚悟が必要になっている。