南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が死去した。95歳。アパルトヘイト(人種隔離)撤廃に命を懸け、1962年に逮捕されてから27年半に及ぶ投獄生活を強いられながら、志を曲げなかった。「不屈の闘士」である。

 アパルトヘイトの下では、出生時に人種登録が義務付けられ、人種別に居住区が定められた。人種の異なる男女の結婚が禁じられていた。

 マンデラ氏は撤廃闘争のシンボルで90年に釈放、アパルトヘイトは91年に撤廃された。93年にノーベル平和賞を受賞。94年の全人種選挙で、初の黒人大統領に選ばれ、白人支配は終わりを告げた。

 マンデラ氏の功績は、撤廃闘争の指導者というだけではない。むしろ、撤廃後に白人に報復することを戒め、人種間の融和政策を推し進めたことにある。大統領就任前後には人種間の対立が激しくなり、内戦に突入する懸念があったからなおさらである。

 就任演説でマンデラ氏は理想の南ア像を、多人種で構成された「レインボー・ネーション(虹の国)」と宣言した。「黒人や白人ら全ての南ア人が、いかなる恐怖心も抱かずに胸を張って歩けて、人間の尊厳が保障された社会を建設することを約束する」と。

 マンデラ氏はその役割を率先して果たした。白人のスポーツでアパルトヘイトの象徴といわれたラグビー南ア代表をそのまま残した。95年に南アでラグビーワールドカップを開催。初優勝した表彰式で同じジャージーを着けたマンデラ氏が白人主将に栄冠を渡し握手した。歴史的瞬間で、ハリウッド映画にもなった。

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 豊富な地下資源に恵まれている南アは、アフリカ諸国で20カ国・地域(G20)の唯一のメンバーである。新興5カ国(BRICS)の一角を占めるようになり、アフリカ大陸最大の経済大国としての地歩を固めつつある。

 だが、人種差別は制度としてはなくなったが、白人と黒人の貧富の差は依然として大きいのが現状だ。

 企業に一定の割合で黒人の雇用を義務付ける優遇策は癒着の批判が絶えない。政財界で成功を収める黒人が現れる一方で、黒人の大多数は貧困から抜け出せない。黒人の間でも格差が生じている。

 失業率、治安は悪化し、マンデラ氏がかつて率いた政権与党のアフリカ民族会議(ANC)は幹部の汚職や内部抗争で混乱している。

 南アの現実は、マンデラ氏が思い描いた「レインボー・ネーション」から程遠く、まだまだ道半ばだ。

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 大田昌秀氏は知事時代に困難に直面すると、マンデラ氏の苦難を思ったという。そのマンデラ氏がユーモアの持ち主だったことはもう一つの希望である。ユーモアは深刻な中にあって、それを溶解させるしなやかさの発露だ。困難な時こそ、楽観を根底にしたユーモアを忘れたくない。

 マンデラ氏の人種間の和解や融和の精神は、国家や民族対立を抱える国際社会に大きな示唆を与える。身をもって示した「報復ではなく和解」の精神を、国際社会が引き受けなければならない。