沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会の元事務局長で、ことし6月に亡くなった中村文子さん(享年99歳)をしのぶ集い(主催・同実行委員会)が8日、那覇市おもろまちの市職員厚生会館で関係者ら約60人が参加して開かれた。

中村文子さんの遺影を掲げた祭壇に献花する参加者ら=8日、那覇市おもろまち

 「平和運動の母」と呼ばれた中村さんの人生を振り返るとともに、特定秘密保護法案の強行可決や改憲をめぐる動きに危機感を示し、「反戦の遺志を後世に引き継ごう」と誓い合った。

 自らを「軍国教師」と呼び、戦場へ送った教え子を思い続けた中村さん。同じ本部町出身で、ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長は、中村さんが同館の第4展示室へ直行し、教え子2人の写真をなでながら「ごめんね」と語りかける姿を忘れられない。

 島袋館長は中村さんの遺影に向かい「悪いのは戦争を起こした人たち。戦争は人災であることを若い人たちに伝えていきたい」と力を込めた。

 1フィートの会元顧問の福地曠昭さんは、米国に散在する沖縄戦関連の記録フィルムを収集、公開する活動の意義を中村さんが県内外からの来訪者に対し、熱心に説明していたことを紹介。「教え子を再び戦場に送ってはいけない、青年よ再び銃を取るな-という、強い使命に燃えていた」と話し、草の根平和運動を続ける決意を示した。

 事務局で一緒に働いた中村節子さんは「厳しい状況でも決して諦めない人」、長男の妻のひで子さんは「理不尽な権力と断固闘いながら、家庭では温かい母だった」とたたえた。