「僕は戦争を体験しているので、軍事基地の建設はどんな理由があっても拒否するしかなかった。これは生き方の問題だった」

沖縄の民意を無視し日米両政府が進める辺野古移設計画の問題点について語る大田昌秀元知事=那覇市西・沖縄国際平和研究所

 1996年4月、米軍普天間飛行場の全面返還合意を実現させた喜びもつかの間、県内移設の条件に苦悩した。

 政府は振興策で受け入れを迫ったが、土壇場で名護市辺野古への代替施設の海上ヘリ基地を拒否した。「蜜月関係だった政府との関係悪化が予想される中、葛藤や迷いはなかったのか」との問いに、大田さんの答えは明快だった。

 人生観を決定づけたのは沖縄戦だった。沖縄師範学校の学生から鉄血勤皇隊に編入され、「鉄の暴風」に多くの学友を奪われた。その時、「二度と戦争はさせない」と胸に誓った。

 普天間返還を米政府と合意した橋本龍太郎首相(当時)とは知事時代、辺野古移設をめぐり17回にわたって会談して信頼関係を築いたが「彼も戦争は体験していない」と相いれることはなかった。

 戦前生まれの当時の官房長官、梶山静六氏にさえ、こう直言したことがある。「あなたは士官学校を出たが(直接の)戦争体験はない。僕にはあるから、基地はどうしても受け入れられない」

 基地の見返りとも評される沖縄振興策の原型は、大田県政と橋本政権との間で生まれた。「政府の人たちは(自分が基地を)受け入れそうだなと思っていた。そんな時、常に自問自答した。なぜ知事になったのか。沖縄を戦場にさせないためだ」と信念を貫いた当時を振り返る。

 普天間飛行場の移設に向けた辺野古埋め立て申請への仲井真弘多知事の判断が迫る。沖縄戦を体験した大田さんの目には、新基地建設という単独の問題ではないと映る。

 「特定秘密保護法が成立し、国家安全保障会議も設置された。安倍政権は集団的自衛権の行使容認など憲法改悪に前のめりになり、戦争ができる国を目指してひた走っている。すべては底流でつながっている」と指摘する。

 沖縄として新基地建設を認めるのか、それとも断固拒否するのか。復帰後最大の岐路に立つ沖縄の命運は、県民が選んだ仲井真知事に託された。

 「知事はどう判断すべきですか」との問いに大田さんはこう答えた。「人生観、政治観での判断。外から口を入れる問題ではない」。慎重に言葉を選びながらも、最後に指摘した。「基地を受け入れ身を引くようなことはしてほしくない。個人の問題ではなく、沖縄全体に影響が出る。そこは間違えないでほしい」(政経部・銘苅一哲)