「住民の反対を考えた場合には法的にあり得ても、現実にはあり得ない」

「普天間問題の岐路は、政府が沖合案を放棄した時だ」と語る稲嶺恵一前知事=浦添市西洲・りゅうせき本社

 米軍普天間飛行場の移設へ向けた名護市辺野古埋め立て申請への仲井真弘多知事の判断が迫る中、稲嶺さんは、代替施設建設の実現可能性に強い疑問を持つ。

 「歴史を常に検証しなければいけない。仲井真さんが考えている実現可能性が一番大事だ」

 今から14年前の1999年12月。普天間の代替施設を受け入れた。

 毎晩、泡盛を酔いつぶれるまで飲んだ。「基地問題が頭から離れない。飲んで、忘れるためじゃない。眠れないんだ」

 他県の知事では考えられない、県益と国益の間で決断を迫られる重圧。「誘眠剤とダブルで飲んだ」。2期8年、個人的な付き合いを犠牲にして知事職を全うした。 

 基地への反発が強い県民がぎりぎり許容できる案を模索した。それが軍民共用と15年使用期限の条件だった。2002年7月、辺野古集落から2キロ離れた沖合への建設で政府や県、名護市が合意。「なるべく環境に配慮した案」だったが、それでも阻止行動は収まらなかった。05年9月2日。政府は辺野古沖ボーリング調査のやぐらを撤去した。

 「知事をしていて1番ショックだった。(政府の沖合案放棄で)普天間問題は進まない、これが歴史かなって。あれが岐路だった」

 政府は一方的に辺野古沖合を断念。地位協定上、立ち入りが規制されるキャンプ・シュワブ沿岸が工事を進めやすいと考えたからだ。「一つの机上の空論だ。現実をあまりにも知らなすぎる。よくよく(沖縄の状況を)分かっていない」

 その後、政府は島袋吉和名護市長との間で滑走路を2本建設するV字案に合意し、反対する県は孤立。県内世論はさらに分断された。

 「沖縄は全国で1%の発言力しかないのに、0・5%同士になったら誰も相手にしない」

 05年7月、金武町キャンプ・ハンセンに完成した米軍の都市型戦闘訓練施設を住宅地から遠い安全な場所へ移設させるため県民集会に参加。保守系知事でありながら、初めて赤ハチマキを締め、住民とデモ行進した。「県内世論として1本化したものに対しては、政府は当然考慮を払う」。経験から学んだ。

 知事時代、県民の怒りをよく「マグマ」に例えた。

 「国の安全保障は国民全体で取り組むべき課題だ。怒りの蓄積は、基地と接する県民は肌身で感じているが外からは見えない。マグマがいつ外に飛び出すか分からない状況は、今も同じだ」

(政経部・知念清張)