「日本復帰は、語り継ぐプラスの遺産」「復帰の歴史を後世に伝えていくのは、われわれの責務」。奄美の人たちに復帰について問うと、こんな言葉が返ってくる。

 1953年12月25日、奄美群島は、終戦後の約8年におよぶ米軍統治から日本復帰を果たした。来る25日はそれから60年を迎える「復帰の日」である。奄美市などでは多彩なメモリアルイベントが開催される。

 「14歳以上の全群島民の99・8%が復帰を求める署名」「復協の泉芳朗議長が5日間の断食祈願。各地で断食闘争が始まる」-。年表に刻まれた運動の歩みはまさに「群島民22万人、出身者18万人の同胞40万人の闘い」だったことを示している。

 奄美群島は戦後、沖縄とともに本土と切り離され米軍統治下に置かれた。換金作物、物産の販路は途絶え、人々は困窮にあえいだ。仕事を求めて沖縄本島に渡った人も多かった。

 生活の困窮は復帰運動の原動力ともなった。「一人一人が主役の自立的な無血の民族運動」。当時を振り返り、語り継いでいこうとの動きが節目の今年は活発化した。

 「奄美群島の日本復帰運動を伝承する会」事務局長の花井恒三さん(66)は「島が閉ざされた中で培った住民の横軸の力強さ。それは復帰後も引き継がれている」と言う。

 過去に石油備蓄基地建設や徳之島への米軍普天間飛行場の移設計画が浮上したとき、住民が一丸となって阻止した行動を花井さんは「第二の復帰運動」と評価する。

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 復帰後、奄美群島振興開発特別措置法に基づく国の復興事業でインフラ整備などが進んだ。しかし大島紬の生産額は80年の287億円から2012年は5億4千万円に落ち込んだ。人口流出も進み、復帰当時の20万人から11万人に減少した。

 60年の節目は奄美の人たちにとって特別な意味があるのか。関連イベントの数は10年前の復帰50年の時をはるかに上回る。「熱気は裏を返せば人口減少などへの危機感がある」と地元の人は言う。

 復帰60年はこれまでの歩みを検証し、閉塞(へいそく)した状況を打開したいという、人々の思いが詰まっているのである。

 奄美群島広域事務組合は、農業、観光・交流、情報と文化、定住を加えた成長戦略ビジョンを策定した。

 これからは若者の定住を促進する雇用創出とともに、自然を生かした振興が活性化の鍵となりそうだ。

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 貴重な固有種が生息する「奄美・琉球」の自然をユネスコの世界自然遺産に登録する動きが進んでいる。早ければ3年後の16年に登録される見込みだ。

 これまでの開発から、自然を生かした振興への転換点となろう。奄美本来の自然を守りながら、世界中から訪れるツアー客に対応できる質の高いガイドの養成も急務だ。

 本土と沖縄に挟まれ両文化圏のはざまにあることを個性として生かそうという発想もある。復帰60年を経て、奄美では新たな時代を切り開く取り組みが始まっている。