沖縄人は、どんな政治の下で生活したときに幸福になれるのだろうか。

 「沖縄学の父」、伊波普猷は、絶筆となった「沖縄歴史物語」の最後で自問自答し、次のような印象的な言葉を残している。

 「地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」

 沖縄戦が終わってからことしで69年、施政権が返還されてから42年がたつというのに、沖縄人はいまだに「にが世」から解放されていない。伊波が希求した「あま世」の夢は宙に浮いたままだ。

 国策の犠牲を強いられ、その代償としてカネがばらまかれる。この構図は少しも変わっていない。

 1995年以来の沖縄からの異議申し立ては安保のコストを沖縄に押し付け、安保の利益だけを享受する本土に向けられたものだった。

 だが、仲井真弘多知事が辺野古の埋め立て申請を承認したことによって、本土の人々はこれから、沖縄の異議申し立てを正面から受け止めなくなるかもしれない。

 「どうせまたカネでしょう」「結局、最後はお金だったね」。知事の埋め立て承認以来、そんな声が本土側から噴出している。

 「物くいーしどぅ、我御主(わーうしゅー)」。耳にするのも嫌だが、沖縄にはそういうことわざがある。「物をくれる人が自分の主人である」という意味だ。

 昨年暮れ、安倍晋三首相と会談したときの仲井真知事の振る舞いは沖縄の古いことわざを思い起こさせた。歴史の歯車が二回転も三回転も逆戻りしたような光景だった。

 復帰後、そこまで卑屈な態度を示した知事がいただろうか。これからの沖縄を背負う若い世代ばかりか、本土の人たちにカネと基地を取引した、とみられるマイナスの影響は計り知れない。

 95年以降の県民の取り組みは、一進一退を重ねながらもさまざまな成果を生み出した。抑止力や地理的優位性が根拠の薄い政治的プロパガンダにすぎないことを沖縄の人々は運動の中で学んだ。これは認識の大転換であり、後戻りすることはないだろう。

 41市町村長と議会議長らが署名した「建白書」の提出によって、保守系首長や経済人の中にも県内移設を疑問視する声が出始めた。このような新しい動きも50年代の島ぐるみ闘争を除いてはかつてなかったことだ。

 沖縄の戦後史は抵抗と妥協の歴史だった。

 憲法が適用されず、基本的人権や自治権が無視された圧倒的な米軍統治下の中にあって、人間としての尊厳をかけて軍事権力と対峙(たいじ)し自ら権利を獲得してきた歴史体験が私たちにはある。これこそが未来に引き継ぐべき沖縄の無形の資産である。

 私たちの先達の行動には現在につながる多くの励ましとヒントが隠されている。

 沖縄のガンジーと称された伊江島の故阿波根昌鴻さん。

 50年代に米軍による土地の強制接収に対し、県内をくまなく回り伊江島で行われている米軍の圧政を行動で示す「乞食(こじき)行進」を主導した。

 非暴力の抵抗を貫き、「(米軍の)武力によって乞食を強いられている」ことを訴えた。土地問題は沖縄全体に広がり、乞食行進は復帰運動の原動力につながっていった。

 70年代、金武湾で石油備蓄基地の建設に反対した「金武湾を守る会」代表世話人を務めた故安里清信さん。その思想は「海はひとの母である」という言葉に凝縮されている。

 戦後の貧しい生活を支えたのは海からの恵みだった。安里さんは海と大地と地域住民が一緒になって生活基盤である環境を守る「生存権」の運動を牽引(けんいん)した。その精神は確実に引き継がれている。

 沖縄を取り巻く東アジア情勢は、伊波の67年前の予言を裏切り、全く逆の方向に進みつつある。

 沖縄が日中衝突の場に立たされる懸念は単なる懸念ではない。日中関係が戦後最悪の時期だからこそ、沖縄の地から「日中不戦」の取り組みを双方に促す役割を担いたい。「意地ぬ出じらぁ手引き、手ぬ出じらぁ意地引き」