遺影の背景には名護市辺野古の海が広がっていた。米軍普天間飛行場の辺野古への移設に反対し、1997年からヘリ基地反対協の共同代表を務めた故大西照雄さん(享年70歳)は病床から「これからが正念場。チルダイするな」と訴えた。「チルダイ」は、気が抜けてしまった状態を指すしまくとぅば。妻の初子さん(69)には「諦めるな」「屈するな」と聞こえた。(福元大輔)

大西照雄さんの遺影を持つ妻の初子さん=名護市内の自宅

 2013年6月19日死去。膵臓(すいぞう)がんだった。「安らかとは表現できない、まだ闘っているような顔だった」。沖縄防衛局が埋め立て承認申請を提出したものの、仲井真弘多知事は「県外移設」を言い続けていたころ。照雄さんは手のひらを返す知事の姿を、うすうす感じていたのかもしれない。そんな表情で亡くなったという。

 04年3月まで高校教諭。教壇をおりる日、「38年間、国民の税金で生活し、多くを学んだ。第二の人生は社会という学校で国民へ還元する道を歩む」と宣言した。同年4月、辺野古にテント村を設営し、国のボーリング調査を阻止する前面に立った。

 国の担当者と対峙(たいじ)した。シーカヤックで真夏の海に出た。「くいの一本も打たせない」。多くの仲間と体を張った。

 〈泡盛を睡眠薬とする日々が続く〉〈辺野古の闘いは毎日出勤、昼も夜もない〉〈沖縄の抵抗の正当性が日米両政府を揺るがす〉

 著書『愚直』には、つらい日々の足跡と、権力にあらがう先の見えない道に明かりを照らす言葉が並ぶ。

 夜遅く帰宅し、翌日に備えウエットスーツを洗う照雄さんの背中に、初子さんは語り掛けたことがある。「政府に逆らうのは難しいんじゃない」。答えは、思ったより明るかった。「絶対に負けられない闘いで、諦めるわけにはいかない。ウチナーンチュは簡単にへこたれないよ」

 辺野古の海を埋め立てることを仲井真知事が認めた今、初子さんは天国の照雄さんの声が聞こえるような気がする。「やっぱり折れたか。どんな条件も信用できるはずがないのになー。許せないけど頑張るんだ。チルダイしてはいけない」