【名護市長選取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の賛否を問う5度目の名護市長選で、現職の稲嶺進氏(68)は「反対」、前県議の末松文信氏(65)は「積極的推進」を掲げる。過去の選挙で移設受け入れ側の候補者は「使用期限」や「沖合移動」などを条件に「容認」する立場で、「反対」と「推進」に、明確に分かれた一騎打ちは事実上初めてとなる。

 末松氏は出馬表明の時点で「辺野古移設は選択肢の一つ」としていたが、前市長の島袋吉和氏(67)との一本化を図る中で、昨年12月25日に「積極的に推進する」と確認。移設受け入れを前提とした再編交付金の活用で新たなまちづくりを目指す。9日の総決起大会では「そろそろ終止符を打とう。(移設を)実現したい」と呼び掛けた。

 稲嶺氏は4年前の選挙から「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」と反対の姿勢を貫く。「期限のある交付金を目当てに子どもたちに負の遺産を残すことはできない」と再編交付金に頼らないまちづくりを訴える。8日の総決起大会では「名護市だけの問題ではなく、これからの日本のあり方を問う選挙になる」と力を込めた。

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 移設問題で名護市民の審判が初めて下ったのは、1997年12月の市民投票。「賛成」「条件付き賛成」「反対」「条件付き反対」の四択で実施され、反対票(52・85%)が賛成票(45・32%)を上回った。その後、当時の比嘉鉄也市長が結果に反する形で移設受け入れを表明し、辞任した。

 98年2月の市長選では、「知事に従う」「前市長の(受け入れ)判断で決着した」と基地問題凍結論を打ち出し、争点化を避けた岸本建男氏が当選した。

 岸本氏は99年12月に「15年使用期限」や「基地使用協定締結」など七つの条件を付けて移設の受け入れを表明。2002年1月の市長選では、条件付き容認の立場で再選を果たした。

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 岸本氏の後継となった島袋吉和氏が当選したのは06年1月。在日米軍再編協議の結論が出る前で、島袋氏は「キャンプ・シュワブ沿岸案」に反対する一方、修正に関する政府との協議に前向きな姿勢を訴えた。島袋氏は同年4月、シュワブ沿岸にV字形滑走路を建設する計画で政府と基本合意した。

 10年1月の市長選では、前年9月に「最低でも県外」を掲げた民主党鳩山由起夫内閣の発足で普天間の行方が混迷。島袋氏は「政府の早期判断を求める」「沖合移動を条件に容認する」といった見解を示したが、「移設反対」を鮮明にした稲嶺氏に敗れた。

 今回の選挙で稲嶺氏は「移設問題は争点といわれながら、過去の市長選ではぼかされてきた。末松さんは積極的に推進となったから辺野古移設の賛否が最大の争点としてはっきりする」と主張。末松氏は「争点化は避けられない」としつつも、「知事(の埋め立て)承認で行政的には解決した」との考えを示している。