末松文信さんは、沖縄タイムスなどが稲嶺進さんの当確を報じた後の午後9時前、選対本部に到着した。すでに泣きはらしたスタッフも。30畳もない本部に報道陣や支持者約130人がいたにもかかわらず約45分間、静寂が続いた。各社の当確が出そろうとマイクを握り、「全く無念です」と頭を下げた。

 政治の師は、市役所に引き入れてくれた元市長の比嘉鉄也さん。普天間飛行場の移設先として名護が取り沙汰され始めた1996年は、企画部長だった。比嘉さんから「この問題は薄い紙をはがすがごとく進めなさい」と、指示されたことを覚えている。

 「かさぶたみたいに、一気に進めたら血が出る」

 3代の市長に仕え、文字通り一歩ずつ進めてきた普天間移設問題。

 しかし、自身が立候補した今回は、候補者一本化の過程で従来の「条件付き容認」から一気に「積極的推進」に踏み込まざるを得なかった。

 国の埋め立て申請を承認し、批判を浴びた仲井真弘多知事と共に演説する時は、「英断に厚く、厚く感謝申し上げる」と言った。推進の旗を掲げた運動。そのさなか、「本当は推進というより、容認なんだけど」と漏らしたこともあった。

 敗戦が決まると、報道陣から知事の承認を含めた逆風の影響について質問が相次いだ。「真正面から取り組んだことに、いささかも問題はない」「(国は移設を)進めていただきたい」。この日は最後まで強気を貫き、本部を後にした。