明治中期の沖縄を知る貴重な資料、笹森儀助著「南島探験」(1894年初版)の最初の原稿とみられる資料を、宜野湾市の古書店、榕樹書林の武石和実さん(64)が入手した。これまでの研究で、原稿は書いた順に甲、乙、丙の3種類あることが分かっており、乙と丙は現存しているが、今回見つかった原稿は書き付けられた日付から、これまで見つかっていなかった最初の原稿(甲)である可能性が高まっている。武石さんは「刊行本になるまでには記述が削られたり、加えられたりする。甲なら沖縄の最初の印象が直接表れていて貴重だ」と話している。

原稿のつづりを解き複写したもの。右側に、「二十一号ハ十一枚 一月二十三日中(細)氏ニ託シ送ル」とあり、最初に書かれた原稿であることを推測させる

刊行本には収載されていない百按司墓の棺箱のスケッチ

原稿のつづりを解き複写したもの。右側に、「二十一号ハ十一枚 一月二十三日中(細)氏ニ託シ送ル」とあり、最初に書かれた原稿であることを推測させる 刊行本には収載されていない百按司墓の棺箱のスケッチ

 筆者の笹森(1845~1915年)は、青森県出身。琉球処分後、製糖や国防の要所としての沖縄の可能性を探るという政治家の意図をうけ沖縄を訪れた。のちに奄美大島島司や青森市長も務めた。

 同資料は佐賀県の郷土史家が所蔵していたものを、武石さんが福岡県の古書店を通じて入手。原稿は分割して保存されていたとみられ、同資料には後半部分が記されている。

 「南島探験」を研究する、白梅学園短期大学の東(あずま)喜望(よしもち)名誉教授は「南嶋探験1」(平凡社)の解題で、乙と丙よりも前に書かれた甲の存在を予測していた。

 笹森は1893年5月10日に弘前を出発、沖縄を訪れ、同年11月8日に帰郷した。東名誉教授の解題には「少なくとも明治二十七年二月中旬までに、乙本を脱稿したものと思われる」とある。武石さんが入手した資料の端には「二十一号ハ十一枚 一月二十三日中(細)氏ニ託シ送ル」というメモや、「陸奥 青森」の消印がされた切手が貼られ、1月中に郵送されたことが分かり、乙本より先に書かれた甲本の可能性がある。

 また、刊行本では削除されている今帰仁村運天の百按司墓(むむじゃなばか)に納められていた棺箱の詳細なスケッチに加え、乙にはなかった外観の石積のスケッチもある。

 同資料は琉球大学付属図書館に所蔵された。同館は貴重書展などで公開していく方針。(城間有)

[ことば]

 南島探験 青森県士族の笹森儀助が1893年に6カ月間沖縄を調査した時の旅行記。94年5月刊行。記録は首里、那覇から中頭、国頭、宮古島、石垣島、西表島、与那国島まで及んでいる。当時の沖縄を知る貴重な資料で、宮古の人頭税廃止運動や、マラリアに苦しめられる八重山の人々の姿も記録されている。