沖縄芝居の名優、真喜志康忠さん(1923~2011年)が1960年前後につづった日記が見つかった。娘のきさ子さん(59)が保管していた資料の中から探し出したもので、日記が公になるのは初めてという。当時は、真喜志さんが旗揚げした「ときわ座」の全盛期に当たり、世相も垣間見える貴重な資料。作品が出来上がった時の喜び、客が少ない時の葛藤、舞台を離れて野球に興じるなど、県内各地を巡った興行の様子が生き生きと記されている。(城間有)

ときわ座の興行の様子などがつづられている真喜志康忠さんの日記

 きさ子さんが荷物を整理している際、真喜志さんから受け継いだ資料に、芝居関係の新聞記事の切り抜きとともに、ノートが数冊入っているのを発見した。

 一番古いノートは59年。「6月22日月曜晴」の欄には「比嘉春潮先生観劇する-醜女の恋を見せたかったが、春秋幸地城を見てお帰へりになったとのことで残念に思う」との記述がある。

 60年3月10日の本部公演の後、11日には辺野古公演と移動して精力的に活動する様子がうかがえる。「辺野古は幼少の時から知っていたが(組踊森川之子によって)ところがこの部落に来たのは是(これ)が始めてである-この部落は基地経済によって成り立っている新しい町であるが未(いま)だ町も完全に出来上がっていない…」と表す。

 5月3日には「辻情話の歌を作る。大体歌は出来上ったから早速舞台にのせよう」と、菊池寛の「茅の屋根」をモチーフにした「辻情話」の創作の過程や、初稽古の様子が俳優への評価とともに書かれている。

 日記には、大宜見小太郎さん率いる大伸座と野球の試合で負けて悔しがったり、「今日の野球は私の独り舞台であった」など、興行の合間にスポーツを楽しむ様子も記録されている。

 きさ子さんは「働き盛りの父の仕事ぶりが目に浮かび涙が出た」と話した。

 真喜志さんと親交の深かった作家の大城立裕さん(88)は「当時、真喜志さんから日記を付けていることを聞いていた。地方巡業の様子がよく現れているはずで貴重な資料だ」と話した。

 真喜志康忠(まきし・こうちゅう) 32年に真境名由康氏が座長を務める劇団「珊瑚座」に入団。49年に「ときわ座」を旗揚げ。戦後の沖縄芝居を引っ張り、後進を育成した。真境名氏から手ほどきを受けた組踊にも取り組み、86年には組踊保持者、89年には県指定無形文化財琉球歌劇の保持者に認定された。現代劇では「海の一座」「さらば福州琉球館」で主役を務めた。