審判は球場の指揮者-。昨年8月4日の巨人-阪神戦で史上19人目、当時現役最多の1軍3000試合出場を達成したプロ野球審判員の友寄正人氏(56)=那覇市出身=が、今年1月に審判長に就任した。(當山学)

ストライクのポーズを取る友寄正人審判長=宜野座球場

 今後はマスクをかぶることなく、セ・パ合わせて56人の審判を各試合に配置したり、球団からの抗議に対処するなど、後進を統括する立場となる。

 セ・リーグで3025試合目、昨年10月の阪神-巨人戦で三塁塁審を務めたのが“引退試合”となった。「肩の荷が下りた」とする一方で、今春のキャンプでは各球団のブルペンで後輩たちが裁く姿を見て「もう一度、マスクをかぶってやってみたい気もする」と、少し未練もあるようだ。

 実際の競技経験はほとんどないが、プレーするよりも、裁くことで試合をつくり上げる「審判員」の美学に引かれた。小禄高校卒業後、県内のアマチュア大会で審判員として実績を積んだ。沖縄国際大を中退し、20歳でプロの世界に足を踏み入れた。22歳、左翼線審として1軍デビュー。8年目の27歳で初の球審を務めて以降、数々の名勝負を裁いてきた。

 「判定がばらつくこともあり、好調を持続するのが難しい仕事」。最初は、プロのスピードに慣れるのに苦労した。

 さらに「夏場は体重が3キロぐらい落ちる」という、何時間も立ちっぱなしの過酷な現場を乗り切るため、オフはジム通いで体力を強化してきた。

 正確なジャッジはもちろんだが、ジェスチャーにもこだわってきた。試行錯誤の末、派手さはないが「プレーが生きる」ようなキレのあるジェスチャーを身に付け、目の肥えた野球ファンに応えてきた。「セ・リーグはどの試合もテレビ中継があって、お客さんも多い。これだけたくさんの人の中でできるのは幸せだった」と36年間をしみじみと振り返った。

 デスクワークが多くなるが、「プロ野球関係者はみんな同じだと思うけど、いかに楽しく見せるか、いかにスピーディーにできるかが大事。『野球は素晴らしい』ということを、みんなに知らせていきたい」と各球団とともに球界の発展を目指していく。