県内の米軍基地で1946~66年に働いていた軍雇用員の労務管理カード約20万人分が県公文書館にあるにもかかわらず、アスベスト(石綿)被害救済に向けた利活用のめどが立っていないことが分かった。

 全駐労沖縄地区本部などは「軍雇用員カード」が、被害者の掘り起こしにつながるとして利活用を求めているが、県と厚生労働省の協議は、個人情報をめぐる認識の隔たりがあり、2011年から棚上げにされている。

 一人でも多くの健康被害の救済につながる可能性があるなら、カードの利活用に向け早急に整備を進めてもらいたい。命に関わる問題であり、対応の遅れは行政の怠慢というしかない。

 本土復帰前に離職した軍雇用員については、政府見解で復帰特別措置法により、米軍に直接雇用されていたため日本の労災法が適用されない、とされた。そのため、復帰前離職者の救済は大幅に遅れた。ようやく06年と11年に石綿健康被害救済法に基づく救済制度が整備されたが、これまで救済された復帰前離職者は1人、特別遺族給付金の交付はゼロだ。

 在沖米軍基地では復帰前から1990年ごろまで大量の石綿を取り扱う作業が行われた。退職後に健康被害が発症した人は、相当数に上る可能性がある。

 国は、復帰後の離職者で石綿被害の可能性のある人には救済制度を案内したが、復帰前の離職者は雇用主が米軍であることから、案内通知はされていない。制度を知らずに被害に苦しむ人や遺族がいるかもしれないのだ。

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 「ボイラー整備士だったが、30年以上はアスベストをかぶって仕事をしていた。中皮腫で亡くなった仲間もたくさんいる」。本紙で連載した「基地で働く」で証言した元軍雇用員の復帰前から復帰後にかけての石綿作業の実態は、驚くものだった。

 カードには軍雇用員一人ごとに氏名、性別、生年月日、住所などのほか、職種や採用・離職年月日が顔写真とともに細かく記録されている。活用できれば、被害の可能性のある人を絞り込むこともできるだろう。

 基地内での石綿業務が原因で発病した軍雇用員や遺族が国に救済を申し出るには、高いハードルがある。

 軍雇用員の場合、救済制度を利用するには、就労当時の同僚2人の証言やエックス線写真など医学的所見-の証拠書類が必要だ。いずれも時間がたつほど救済が困難になるいわば「時間的制約」があるのである。

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 欧米では、国際労働機関(ILO)などが70年代に石綿の発がん性を指摘し、80年代に規制が始まっていた。

 在沖米軍基地では、復帰直前の69~72年の人員整理で約7千人の軍雇用員が大量解雇された。石綿被害は、数十年かけて進行する例が多く「静かな時限爆弾」と呼ばれ、潜在的被害者が多数いる可能性は否定できない。復帰前離職者の高齢化は進んでおり、政府、県は一刻も早く積極的な対策に取り組むべきだ。