「西の空が突然明るくなり、雪のような白い灰が船上に降り注いだ」。南太平洋で操業していた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七さん(80)の講演で、1954年3月1日の状況を知った

▼米国がビキニ環礁で行った水爆実験で「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばく、無線長が半年後、死亡した。同海域で多くの日本漁船も死の灰にさらされた。事件からちょうど60年を迎えた

▼仲間たちががんなどで次々と亡くなった。大石さんは肝臓がんなどを患いながら被ばく体験を語る講演活動で「核の恐怖」を訴え、核兵器廃絶を主張した

▼米国は、日本に7億2千万円(当時)の見舞金を支払う一方、原子力技術を供与する日米原子力協定を結ぶ。事件の責任をあいまいにした政治決着が日本の原子力開発の扉を開いた

▼原子力推進に加担した大手テレビ局幹部は「毒を持って毒を制する」と語ったという。被ばく事件で起きた反核・反米感情を「原子力の平和利用」という毒で抑えることを意味していた。毒は57年後、福島原発事故という形で吹き出した

▼「ビキニ事件は福島原発事故につながっている」と大石さんは語っていた。政府が原発再稼働に突き進もうとする今、ビキニ事件という原点に立ち返り、原発行政を見直すべきではないか。(与那原良彦)