旧社会党で県本部委員長を務め、基地負担に苦しむ沖縄の声を政治、大衆運動の現場で訴え続けた、元県議の新垣善春(あらかき・ぜんしゅん)氏が2日午前10時25分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため宜野湾市の福祉施設で死去した。83歳。北谷町北前出身。告別式は5日午後3時半から4時半、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館で。自宅は北中城村安谷屋1948。喪主は妻の洋子(ようこ)さん。

「大衆運動が歴史を変える。沖縄の基地問題は必ず前進すると思う」と語る新垣善春さん=北中城村安谷屋の自宅

 コザ高校を卒業後に軍作業員として働いたが解雇され、軍用地の強制使用に対する「島ぐるみ闘争」に参加し、1958年の沖縄社会党結成に参画した。祖国復帰協議会の執行委員として本土復帰運動にも関わった。70年に社会党県本の書記長、85年に県本委員長に就任してから社民党時代を含めて2001年まで16年間務めた。

 93年には沖縄平和運動センターを立ち上げ初代議長に。勇退後も2010年4月に読谷村で開かれた普天間飛行場の国外・県外移設を求める県民大会には肺を患いながらも車いすで参加するなど、晩年まで沖縄の大衆運動に心を寄せた。