米国ネバダ州ラスベガス。ネリス空軍基地は、世界中から観光客を集める、この一大娯楽都市の10キロ北東に位置する。同基地に所属するドイツ系アメリカ人の技術軍曹を夫に持つスタイナー奈奈子さん(32)は、夫の異動に伴い横田基地から2010年にラスベガスでの生活をスタートさせた。2女の母親として、最初にぶつかったのは、横田基地内の学校とラスベガスの学校との教育システムの違いだった。

夫ジョンさんと2人の娘と仲良く暮らす奈奈子さん(右)=ネリス空軍基地内

 「通常はアメリカの学校に付設されているESL(英語が第2言語の子のための英語学習プログラム)もなかったので、娘のために自力でスピーチセラピスト(英会話の指導者)を探しました。役所に行っても日本と違って延々と時間がかかるし、勝手が違う。分からないことだらけの私に手を差し伸べてくれたのは、同じ基地内に住む日本人妻でした。ある日、スーパーマーケットで子どもに日本語で話しかけていたお母さんに話しかけたところ、偶然、沖縄出身の女性だったのです」

 ラスベガスには「さとや」という沖縄料理のレストランがあり、そこが情報の拠点だということも後で知った。次第にラスベガスの生活に慣れてきた奈奈子さんはカレッジ・オブ・サザンネバダという大学に入学し、学生になった。

 「今は採血師の資格が取得できるコースで、手に職を付けようと目指しているところです」

 本部町で生まれ、沖縄キリスト教短期大学を卒業後にちゅら海水族館で飼育事務の仕事に就いた。その後、日通ナノテクノロジーに転職、物流業に従事することで「世界中のいろいろな場所に行ってみたい」と海外に憧れるようになった。

 横田基地時代には、東京都武蔵村山市の小学校で英語支援員を経験した。「英語を生かしたいと考えていた時に、支援員の公募を知りました。市の教育長とイギリス人の先生との面接に合格し、アメリカに来る前の1年間、教えていました。最後の日、お別れ会のような席で、ある児童が急に前に出て来て、私に手紙を読んでくれました。自閉症だったその子に、『奈奈子先生とのお勉強はとっても楽しかったです』とお礼を言われた私は感激のあまり泣きだしてしまいました。今でも思い出すと涙があふれてきます」

 過去、日本国内でさまざまな仕事に就いてきた奈奈子さんは、アメリカに来た当時、夫に「社会に出て働いてみたら?」と勧められたそうだ。しかし、アメリカの生活知識がゼロの状態で働き始めるよりも、彼女はまず学生になることを選択した。

 5月中旬には採血師の資格を得る予定だが、早ければ11月に次の赴任地へ異動することになる。「3、4年で次の場所に異動するのが決まりです。私にアメリカのことを教えてくれた沖縄出身の女性も既にここにはいません」

 次の赴任地がアメリカ国内であれば、ぜひ社会に出て働きたいと希望している。そして海外の各地を巡った後に、夫と共に沖縄に帰り、英語の教師になるのが最終的な夢だそうだ。(福田恵子・ロサンゼルス通信員)