【沖縄】沖縄市の福祉体験作文コンクール「ユイマール賞」の受賞作の一つで、美東中3年の寺迫晃良さんの作文が、関係者の間で「まさに沖縄のゆいまーるを表現している」と話題になっている。

「ユイマール賞」を受賞した寺迫晃良さん

 作品名も「ゆいまーる精神」。寺迫さんは小学4年の時に、難病の母親とともに療養のため愛知県から沖縄に移り住み、暮らす中で「ごく自然に困っている人に手を差し伸べる」ゆいまーる精神を感じたことなどをしたためた。

 母親の電動車いすが、散歩中に側道に乗り上げ困ったとき、通り掛かった中学生や車に乗っていた男性が手伝って持ち上げてくれたエピソードを紹介。母親が緊急入院したときに、食事を持って駆けつけたり、病院に着替えを届けてくれた人たちがいたことなども取り上げた。

 その際、いつも決まって「1度知り合ったら家族も同然。困った人を助けるのは当たり前のこと」と言葉が返ってきたとつづる。寺迫さんも姉も母親も、沖縄でたくさんの友達に恵まれ、母親の体調も良かったという。

 最後は「古き良き日本人の心を沖縄県で学び、貴重な体験ができた」「この『ゆいまーる精神』を本土に持ち帰り広めていきたい。それが明日への福祉へとつながることを信じて」と結んでいる。

 沖縄市民憲章推進協議会の知花朝勝事務局長は「受賞作はみな優れているが、寺迫さんの作文は特に沖縄のゆいまーる精神。多くの人に読んでもらいたい」と推薦する。

 寺迫さん家族は、家庭の事情で、中学の卒業式を終えると引っ越し、現在は東京に住んでいる。寺迫さんは「受賞は、お世話になった方々への感謝を伝わるようでうれしかった。東京で、ゆいまーる精神や沖縄の基地問題も伝えたい」と話している。

ゆいまーる精神

                美東中学校3年 寺迫 晃良

 私は小学校四年生のとき、母の病気療養のため愛知県から温暖な沖縄県に引っ越してきた。母は膠原病という免疫疾患の難病を患い、身体障害者である。

 私を出産する時、病気が一層悪化する可能性が高くなるため、医者に出産を反対された。しかし、母は何のためらいもなく命を懸けて私を産んでくれた。後でこの話を知ったとき涙が止まらなかった。私に会うために自分を犠牲にした母がとても誇らしかった。その後、医者の言葉通り、病気は進行し手足の関節が破壊され、日常生活が不自由となった。重い物を持つことができないため、姉と私は母の手足となり、ごく自然に手助けすることが当たり前となっていた。

 実は私は母に一度も抱っこされたことがない。しかし、いつも誰にも負けない大きな深い愛情を注いでくれていることに感謝し、逆に母をいたわる気持ちが自然と強くなっていった。体の不自由な家族がいることで、絆はより一段と強固となり、ごく当たり前にお手伝いやサポートが自然にできるようになったのかもしれない。

 沖縄に引っ越してきて、最初に感じたことは、愛知県と比べると大企業も少なく財政的にも苦しいため、福祉制度が充分でないということである。しかし、それを補えるだけの素晴らしい「ゆいまーる精神」というものが沖縄にはある。困っている人がいたら助け合うという精神だ。

 ある日、母と私が散歩をしていたときのこと、母が乗っている電動車椅子が側道に乗り上げてしまい、どうすることもできず困っていた。すると、それを見かねた中学生と車で通りかかった男性が車を停め、車椅子を持ち上げるのを手伝ってくれた。私たちは、あまりの速さにびっくりした。ごく自然に困っている人に手を差し伸べることができる沖縄県民の「ゆいまーる精神」に初めて遭遇し感動した。私は母を通して人をいたわる気持ちは充分持っているという自信があったが、果たして家族以外の人に簡単にできただろうか。恥ずかしさで躊躇して手助けできなかったかもしれない。

 それから間もなくして、母が緊急入院したことがあった。すぐに食事を持って駆け付けてくれた近所の人や、同級生のお母さんたち。病院へ着替えを届けてくれた人たち。お礼を言う私たちに決まって返ってくる言葉がある。

「大丈夫よ。一度、知り合ったら家族も同然。困った人を助けるのは当たり前のことだから。」

 私たち家族は福祉や介護制度ではなく「ゆいまーる精神」によって支えられて生きてきた。いくら、財政的に豊かで立派な制度や施設があっても、親切な心までは注入できない。二年半前、未曾有の被害にあった東日本大震災では日本人の助け合いの心、助け合いの絆が世界中の人たちに賞賛されたが、沖縄県民の優しさや思いやりはどこにも、誰にも負けないと思う。

 沖縄に来て本当に良かったと感じている。私も姉もたくさんの友達に恵まれた。それは母にもいえることで、愛知にいたときにはなかった笑顔がある。それは、体調不良のときに気兼ねなく、買い物や通院のサポートをしてくれる友達がたくさんできた安心感からだと感じる。そんな母を見てとても幸せな気持ちになってくる。母は最近、車椅子を使わなくなった。

 私たち家族は最近忘れ去られようとしている古き良き日本人の心を沖縄県で学び、貴重な体験ができたことに喜んでいる。困った人がいたら、自然にさりげなく手を差し伸べられる人に私はなりたいと思う。来春、私や家族を六年間育み、成長させてくれたこの大好きな沖縄の地を離れるが、この「ゆいまーる精神」を本土に持ち帰り広めていきたい。それが明日への福祉へと繋がることを信じて。