「懇談に移りますので、退席をお願いします」

(右上から時計回りに)東京・市谷の防衛省、本紙題字、やぐらの上から辺野古の海上をルポした本紙記事、現沖縄防衛局のコラージュ

 2005年初夏。那覇防衛施設局の記者会見室で、広報担当者が沖縄タイムス記者に通告した。

 西正典局長が月に1回開く定例会見が終わり、局長と記者がオフレコ(メモなどの記録をしない場)で意見交換する「懇談」から、本紙記者は締め出された。

 この時、普天間飛行場の移設先とされた名護市辺野古沖で、施設局はボーリング調査を進めていた。

 移設に反発する市民は現場の海に設置されたやぐらに上り、24時間態勢で抗議を続けた。

 本紙は05年5月、夕方から早朝まで繰り広げられる施設局側と市民のにらみ合いをやぐらの上で取材。14日付の紙面にルポ記事を掲載した。

■「許せない」

 「これは許せない」

 記事を読んだ西局長は激怒した。広報担当者を通じ、施設局の取材を担当する別の記者に「局長懇談」への出入り禁止を通告した。

 当時を知る防衛省関係者は「西氏は、国が設置したやぐらに無断で上る行為が建造物侵入に当たると問題視していた」と振り返る。

 施設局はやぐらでの取材後、掲載の見送りを執拗(しつよう)に求めた。だが、本紙は受け入れなかった。

 長元朝浩編集局長は「海中に設置され足場の悪いやぐらの上で24時間の監視が続き、県民の命に関わる事態が起きかねない危険な状況が続いている。地元紙として危険性を取材し、読者に伝える必要がある」と判断した。

 同じころ、東京・市谷の防衛施設庁でも、本紙記者は山中昭栄長官の懇談への出入り禁止を告げられた。

 オフレコ懇談は、記者が政府関係者の本音を聞く貴重な機会だ。政府はこうした「ニーズ」を熟知しているからこそ、効果的な措置として“出禁”に踏み切る。琉球新報にも、同様の処分を発動することがある。

 通常は1週間、1カ月などの期限付きだが、西氏は06年1月に離任するまで出席を認めなかった。

 「やぐらから下りろと言ったのに下りず、タイムスは国に立ち向かってきた。そこが許せなかったんだ」。防衛省関係者は、内実を明かした。

■正当性強調

 施設庁の記者クラブでは05年夏、ある「上映会」が開かれた。辺野古沖の船上で抗議する市民を撮影した動画を職員が再生し、全国紙の防衛庁担当記者に見せていた。

 「市民団体がやっていることは、こんなに危ないんですよ」。職員は記者団に、市民側がいかに危険な存在かという施設庁側の見解を伝え、ボーリング調査の正当性を強調した。

 報道から約4カ月後の05年9月、施設局は台風による危険性を理由にやぐらを撤去し、その後は再設置できなかった。

 当時、知事だった稲嶺恵一氏は昨年12月、本紙の取材に「(やぐら撤去で)普天間問題はもう進まないなって思った。歴史のターニングポイントはここだと思う」と振り返った。

◇    ◇

 防衛省はことし2月、石垣島への陸自配備計画を報道した地元紙を問題視し、全国のマスコミ約130社が会員に名を連ねる日本新聞協会に抗議した。前例のない措置だった。抗議の文書は、くしくも05年に那覇施設局長だった西事務次官の名前で送付した。

 「やぐら問題」にも通底するが、政府は沖縄メディアの報道に敏感に反応する。ただ、05年当時は公式の記者会見への出席を認めるなど、表立った圧力は控えていた。

 個別の新聞社への“制裁”を越え、政府・与党という権力が沖縄メディアに公然と牙をむき始めた。

 6日から始まった春の新聞週間に合わせ、新聞と権力の関係を考える。(政経部・吉田央)

 =政府機関の名称、登場人物の肩書は当時