「(沖縄)タイムスは読まん新聞ですから」。仲井真弘多知事は3月、県議会の本会議場で言い放った。報道を引き合いに質問された時のことだ。

 議会終了後、本紙記者が真意を確認すると、「購読をやめた。(琉球)新報も。特定の団体のコマーシャルペーパーと聞いたものですから」。団体が何かは言わなかったが、米軍普天間飛行場移設の埋め立てを承認して以来、2紙の報道に不満を募らせていたのは間違いない。

■批判の系譜

 仲井真氏の不満は、政府・自民党が2紙に向けてきた批判の系譜と重なる。

 首相になる直前の森喜朗幹事長は2000年、「沖縄県の教職員組合は共産党が支配していて何でも政府に反対、何でも国に反対する。沖縄の二つの新聞もそうだ」と放言。小渕恵三首相がわびる事態になった。

 事務方でも山中昭栄防衛施設庁長官が05年、本紙記者に直接、「沖縄の新聞は偏りすぎている。イエローペーパー(ゴシップ紙)だ」と語った。

 防衛相も務めた小池百合子氏は急先鋒(せんぽう)だ。沖縄担当相在任中の06年、「沖縄のマスコミとアラブのマスコミは似ている。反米、反イスラエルでそれ以外は出てこない」。その後13年には「沖縄の先生方が闘っているのは、沖縄のメディア。メディアの動向でこういう(県外移設の)流れが出てきた。本当に県民を全て代表しているとは思わない」と主張した。

■親米紙淘汰

 沖縄本島では戦後、10紙以上の新聞が生まれたが、タイムス、新報の2紙だけが残った。復帰前の新聞史に詳しい立教大の門奈直樹名誉教授(ジャーナリズム論)は「親米紙の創刊も何度か試みられたが、民意を反映しない新聞は淘汰(とうた)されていった」と指摘する。

 2紙も、当初から基地被害を強く告発していたわけではない。「新報は軍政の機関紙として出発したし、タイムスも出版許可制の下で腰の定まらない論調があった。理不尽な事件・事故に反発する住民の信頼を得るため、必然的に厳しい論調になっていった」とみる。

 13年4月、菅義偉官房長官が異例の沖縄メディア行脚をした時も、2紙は各社の取材に役員との会談を公開した。専修大の山田健太教授(言論法)は「水面下で手なずけようとしてもできない。政府にはいら立ちがある」との見方だ。

 防衛省が陸上自衛隊の配備報道をめぐり、日本新聞協会と新報に抗議したのは、2紙敵視が新たな段階に入ったことを示す。山田氏は「自民党が政権復帰し、普天間移設を具体的に進めようとしたここ1年余り、圧力は強まっている。むしろ在京紙が政府批判をためらうようになり、沖縄紙の孤立が一段と進む可能性がある」と憂える。(社会部・阿部岳)=肩書は当時