サトウキビ畑の向こうには水平線がのび、おだやかな景色が広がる読谷村波平。樹木が生い茂る中を下りていくとガマの入り口がある。1945年の4月、上陸した米軍が迫る中「集団自決(強制集団死)」で83人が亡くなったチビチリガマだ。入り口には遺族らが願いをこめた平和の像がある

▼先日の慰霊祭には、当時ガマの中にいた人も参列した。幼かった当時、せめて明るいところで死にたい、とその場から逃げ出したことで命がつながったという

▼亡くなった人々や遺族のことを思った家族から口止めされたこともあり、長く当時の話はできなかった。ガマに来ると怖かったことを思い出す、と声を詰まらせた。「ただ平和を願う」という言葉は重い

▼つらすぎる経験は69年たった今もなお体験者を苦しめ、ガマに来るのをためらう人がいるという。戦(いくさ)は、その時その場でだけ人の命を奪い、傷つけるのではない。後々まで人を傷つけ続けている

▼集団的自衛権の行使に関連して、自民党に限定容認の動きがある。しかし、武力を行使した先で、どれほどの人が傷つき苦しむのだろう。しかも、より大きくなって私たちに降りかかるかもしれない

▼戦争体験者の平和の願いを実現するためには、他国と互いを傷つけない関係を築くことが、何より大切だと思えてならないのだが。(安里真己)