【国頭】村鏡地出身で、現在大阪市に住む山城正邦さん(73)が7日、中学3年当時の担任だった村与那の宮城沙苗さん(91)と58年ぶりに再会した。中学卒業後の集団就職で本土に渡る際、宮城さんが手渡した100円(当時)を支えに建設業関連の会社を経営するまでになった山城さん。「恩師に会いたい」と感謝の気持ちを伝えるために帰郷し、那覇市内の病院で対面した。

58年ぶりに恩師の宮城さん(左)と再会した山城正邦さん=那覇市内の病院

 山城さんは同中の8期生で1957年卒業。翌年、集団就職で大阪へ渡る際、宮城さんに「明日、大阪で就職します」と告げた。宮城さんは「どんなに苦しいことがあっても、初心を忘れず目的を達成しなさい。健康第一に」と激励し、当時のB円紙幣(軍票)で100円の入った封筒を手渡した。

 山城さんによると、当時の100円は、沖縄で大人の日当分、本土では360円に相当する価値があったという。

 パンや麺の製造組合の応募を受けて大阪での就職が決まった山城さんは、大阪で100円をすぐに預金。初任給3千円のうち、理髪代の100円を残して毎月2900円の預金を続け、その貯金で自動車免許を取得、運転手などを続けながら働き、96年に会社を設立、社長になった。

 再会したその日は、山城さんも宮城さんも感激の余り胸を詰まらせながらも、固く握手を交わし、互いに喜んだ。

 山城さんが「前の会社を倒産させたこともあるが、恩師の『どんなに苦しいときも…』の言葉を思い出し、頑張った」と感謝、「体調が回復され、カジマヤー祝いをしましょう。楽しみです」と宮城さんの回復を願った。

 宮城さんは山城さんと握手を交わしながら「正邦、元気だったね。うれしいさ」と目頭を熱くした。