沖縄の現実とかけ離れた日本国憲法に反発していた15歳の少年が古希を迎え、5月3日の憲法記念日の講演会を主催している。琉球大元教授(機械工学)の屋富祖建樹さん(70)=那覇市。物語は、沖縄が「銃剣とブルドーザー」で踏みにじられていた時代、那覇中学校の木造校舎から始まる。(矢島大輔)

憲法について語る屋富祖建樹さん=沖縄タイムス社

 「基本的人権の尊重」
「国民主権」
「平和主義」

 米軍統治下にあった1959年。3年生の教室で、当時は珍しい憲法の授業が行われていた。社会科の教員はチョークで板書をしながら、こう話した。「戦後の日本が獲得した憲法の三原則です」

 机に座って聴いていた屋富祖さんは反発した。「沖縄で起きていることは全く逆だ。三原則のひとかけらもないじゃないか」

 那覇市で育ち、米軍の銃剣とブルドーザーによる土地接収で、農地や家を奪われた人々が路上にむしろを敷いて座り、窮状を訴える姿を目にしてきた。憲法の理念と、沖縄の現状の落差を受け止められず、授業は全く頭に入らなかった。

 パスポートを手に留学生として海を渡った茨城大で、憲法の討論会があった。本土の学生たちが交わす議論を空疎に感じ、起立してこう叫んだ。「沖縄はかけ離れた暮らしをしています」。100人はいる大教室が静まり返った。

 本土復帰の日である1972年5月15日、琉球大理工学部の助手として帰郷した。研究にのめり込み、結婚して家族も増えた。

 憲法からは遠ざかっていたが、定年を迎える数年前、機械工学の講義の合間、自らの体験について学生に語るようになった。7年前からは日本科学者会議の沖縄支部事務局長として、憲法記念日のイベントを運営する側にいる。

 日本統治下の台湾で苦しんだ少数民族について夜間講座で学んだとき、沖縄の姿が重なり、次第にこう考えるようになったからだ。

 「人権と平和を保障する憲法の理念が行き渡っていないことが、さまざまな問題を生み出しているのではないか」

 福島の原発事故で故郷を追われた人々、中国との尖閣諸島の領土争いも--。

 今なら自戒を込め、中学生だった自分にこう言う。「怒りの矛先を歴史や憲法の勉強に向けてみて」と。もちろん頑固だった屋富祖少年が、聞く耳を持ってくれるかは自信がない。

3日に憲法講演会 那覇市民会館で

 「活かそう憲法の力」をテーマに「2014憲法講演会」(主催は県憲法普及協議会、沖縄人権協会、日本科学者会議沖縄支部)が3日午後1時半から、那覇市民会館大ホールで開かれる。

 県内の大学生らによる「いま、憲法のはなし-戦争を放棄する意志-」の朗読劇や、女性のジャーナリスト3人による「伝える。沖縄の声 獲得する憲法の力」クロストークの他、シカゴ大のノーマ・フィールド名誉教授のビデオメッセージも流される。