日本国憲法は1947年5月3日に施行された。憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し」と宣言した。二度と戦争をしないという国民の強い思いを反映した文言だ。施行から67年たった今、この前文が逆の現実味を帯びて生々しく浮かび上がってきた。

 安倍政権は昨年、国家安全保障会議(日本版NSC)を創設、特定秘密保護法を成立させた。当面の集大成ともいえるのが集団的自衛権の行使容認である。

 首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」は、大型連休明けに首相の意向に沿った報告書を提出する予定だ。首相はこれを受けて「政府方針」を策定するなど、動きが一気に加速する。

 日本の安保政策の大転換となるものである。国会議論もないまま、首相がこれほど前のめりになるのはなぜか。安倍政権は自衛隊と米軍の役割分担を定める日米防衛協力指針(ガイドライン)の改定をセットで考えている。

 首相が目指すのは「軍事同盟というのは“血の同盟”です」という言葉が示している。米軍が攻撃されたときに自衛隊が血を流すことができなければ「完全なイコールパートナーと言えるでしょうか」(『この国を守る決意』、2004年1月発行)。

 集団的自衛権は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」とされている。

 歴代の内閣は「権利は保有しているが、憲法9条の関係で行使することはできない」との憲法解釈を維持してきた。9条は戦争の放棄、戦力の不保持、国の交戦権の否認を定めているのである。

 首相は、解釈の変更によって集団的自衛権の行使容認を実現しようとしている。その理論的支柱となっているのが安保法制懇である。長年にわたり積み重ねてきた政府答弁を、何の法的根拠もない私的懇談会の報告書を基に内閣の解釈変更で覆すことができるなら立憲主義、民主主義の否定につながり、9条の法規範としての意味が失われる。

 ベトナム戦争の際、集団的自衛権の行使で韓国軍が派遣され多数の死者が出た。イラク戦争に英国は集団的自衛権を行使して兵士を送り込み、米国に次ぐ死者を出した。日本は、戦争終結後に人道復興支援で陸自を派遣したが、一人の犠牲者もなく民間人を傷つけることもなかった。9条が歯止めとして機能したからだ。あの時日本が集団的自衛権の行使が可能だったら、米国からの戦闘派遣要請を断れなかっただろう。

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 「ウセーラットーン(ばかにされている)という屈辱感を感じる」。詩人の中里友豪さん(77)=那覇市=は、政権の動きをこう批判した。沖縄戦のころ9歳だった。やんばるに避難。飢えに苦しみ、悪臭を放つ死体をいくつも見た。戦後の59年6月、石川市(当時)の宮森小学校に米軍の戦闘機が墜落し、児童ら17人が犠牲になった。琉大生だった中里さんは、現場に駆けつけ規制線をくぐり、黒こげになった遺体を見た。

 「琉大文学」に掲載したルポルタージュで「操縦士にはパラシュートがあったが、子どもたちにはパラシュートはなかった」と書いた。

 沖縄戦と米軍統治下の記憶は強烈に脳裏に焼き付いている。米軍によって文章の発表の自由は制限された。「僕らは閉塞(へいそく)感の中で青春を過ごした。世界的遺産ともいえる平和憲法をないがしろにすることは許せない」

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 中里さんは、米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古へのV字形滑走路計画について警鐘を鳴らした。「沖縄はアジアに向かう日本という軍艦の舳先(へさき)にされようとしている。そのための橋頭堡(ほ)が新たに強化されようとしている」(文芸誌『前夜』、2006年秋号)。

 当時の市長は基地建設に合意した。中里さんはこうつづっている。

 「この屈辱は堪え難い。ぼく(たち)は合意しない。忘れ難い記憶があるからだ。記憶は未来の先導者である」