【本部】琉球政府が1958年、ハワイから輸入したアセロラの原木6本のうち1本が、本部町嘉津宇の民家に残っている。30年ほど前、「サトウキビに代わる作物を」と地元農家が立ち上がり、手探りで栽培法を研究、普及に奔走、今や町の特産物として定着している。12日は初収穫の時期に合わせた「アセローラの日」。町特産の発祥となった原木を前に関係者が当時を懐かしむ。(国吉聡志)

古波さんの自宅で青々と茂るアセロラの原木=9日、本部町嘉津宇

笑顔で当時を振り返る並里さん(左)と古波さん

古波さんの自宅で青々と茂るアセロラの原木=9日、本部町嘉津宇 笑顔で当時を振り返る並里さん(左)と古波さん

 自宅の庭で原木を保存するのは町嘉津宇の古波(こなみ)英男さん(66)。

 キビ農家だった約30年前、手作業によるキビの収穫は重労働で、「琉大で熱帯果樹を研究する本部出身の学生がいる」と聞き付け、キビに代わる作物がないかと大学に足を運んだのがアセロラに出合うきっかけだ。

 研究者の並里康文さん(故人)は現在、町でアセロラの加工販売や農家を育成するアセローラフレッシュの並里哲子代表の夫。

 康文さんは農学部大学院でビタミンC豊富なアセロラに注目し、県内での栽培を考えていた。

 古波さんと康文さんは意気投合し、1982年、古波さんら3戸の農家は今帰仁村呉我山の農業試験場にあった原木の1本を引き取り、嘉津宇で栽培と普及を開始。

 しかし、台風対策や挿し木による増殖、実の鮮度保持などで苦労し、栽培が本格化した90年ごろも生産量は2トン余りにとどまった。

 その後、康文さんの研究を頼りに防風林の整備や実の増収方法などで工夫したほか、地元向け出荷を中心に哲子さんらが営業。

 栽培農家も次第に増え、鮮度を保つ冷凍技術で販路が県外に広がった。

 今では町崎本部を中心に年間約20トン、売り上げも数千万円規模に成長している。

 哲子さんは「赤い実を見る度に、夫と普及に奔走した日々を思い出す」

 古波さんは「県内外から本部のアセローラを買いに来るようになった。当時の思いが結実してとてもうれしい」と笑顔で庭の原木を見上げた。