1944年8月、米軍潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の遭難者を救助した漁船の乗組員、杉本寛(ゆたか)さん(享年66)の手記が11日、妻の佐賀子さん(80)=高知市=から対馬丸記念館(那覇市)に寄贈された。

対馬丸記念館の高良政勝理事長(右)に故杉本寛さんの手記を手渡す妻の佐賀子さん=11日、那覇市若狭・対馬丸記念館

 佐賀子さんは「夫の願いがかない、うれしく思う。戦争の恐ろしさを一人でも多くの人に知ってほしい」と話した。

 記念館の高良政勝理事長(74)は「乗船者に手を差し伸べてくれた人の直筆を見て、言葉で言い表せないくらい感動した」と声を詰まらせ、沈没から70年の節目の寄贈に「かけがえのない資料として展示したい」と礼を述べた。

 寄贈に先立ち、佐賀子さんは対馬丸の慰霊碑「小桜の塔」を訪れ、手を合わせた。「夫は(遭難者救助について)子供の前では話さなかったが、私には思い出したように話してくれた」と回想。「記録を残さないといけないという思いで(夫は)手記を書いたと思う」と語った。

 寄贈式には、佐賀子さんの娘や孫のほか、対馬丸の生存者らが出席。寛さんの漁船に助けられた照屋恒さん(74)は「手記を読んで救助の様子が分かった」と語り、引率教師として乗船していた糸数裕子(みつこ)さん(89)は「私が生きているのも杉本さんが助けてくれたおかげ。感謝の思いでいっぱい」と話した。

 手記は便箋3枚につづられ、当時16歳の杉本さんが甲板員として乗っていたカツオ漁船が日本軍の救助要請を受け、撃沈翌日、鹿児島県の悪石島沖で50~60人を救助したことが書かれている。